4月30日 ▼ラバウル旧日本軍戦跡を巡る
第二次世界大戦中、南方の前線基地として、旧日本軍の太平洋侵略の足場とされたラバウル。一時は10万人の日本人が暮らしていたという。今もあちこちに残されている旧日本軍の戦跡を巡り、戦争と平和について考えた。
旧日本軍記念碑。第二次大戦の戦没者の記念碑として、1980年に日本政府とラバウル政府によって建てられた。天井部分にある太平洋をかたどったレリーフは、ラバウルの位置に丸い穴が開けられ、太陽光が射し込むようになっている。参加者は持参した線香をたて、戦没者に祈りを捧げた。現地の人が当時覚えたという日本の軍歌を歌ってくれ、複雑な気分にさせられた。
第二次世界大戦中、旧海軍防空隊指揮所があったマルマルアン展望台。見張り台、防空壕跡、野戦砲、大砲、高射砲などが残されている。写真は、当時連合国側の艦船を見張っていたという見張り台跡。
ラバウルが位置するニューブリテン島の文化と歴史を表す品々や、第二次世界大戦関連の収集品を展示しているココポ博物館を訪れた。庭には戦車や機関銃が展示されている。室内には当時の写真や旧日本軍が使用していた武器や携帯品などが展示されていた。写真は降伏文書。海軍総指揮官のサインが確認できる。
旧日本軍の大型発動機艇(通称大発。大型船から岸へ人や物の輸送をおこなっていた上陸用舟艇)を、連合軍の空爆から守るために掘られたバージトンネル。トンネル内に一列に並べられた5艇の大発は、隠されたまま使われることなく終戦を迎え、今なおトンネル内で眠る。
海軍司令部地下壕跡。1943年4月、山本五十六連合艦隊司令長官がラバウルを訪れた際に駐屯したと言われている。壕内には、ラバウル周辺における作戦地図などが残されているが、火山の噴火によって大部分が灰に埋もれてしまった。
ラバウル空港跡の側のヤシ林の中に残る一式陸攻爆撃機の残骸。現在は半分が灰に埋もれている。当時は丈夫さよりも速さを重視したため、極薄の鉄板で作られ、燃料タンクはむき出し。弾が命中すれば、とたんに燃料に引火したという。
(菅井)
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