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かんばれエリトリア!
土井香苗さんからのメール

土井香苗さんからのメッセージ

私は土井香苗と申しまして、法学部4年、ただいまアフリカの角の部分にある、アフリカで一番新しい独立国、エリトリアの法務省でリサーチャーのボランティアをしています。私のことを聞き知っている方でも、どうして突然、法学の道をそれて、アフリカに来ているのか、等々、突拍子が無くて分からないとお思いの方も多いでしょうから、簡単に説明させていただきます。そして、海外、特に第三世界に出てみたいけど、なかなか思い切りが付かない、あるいは、第三世界のために何かをしたい、あるいはもっと具体的に、法学の知識を使って、国際貢献(私のレベルでは、まだまだ国際体験にすぎませんが…)をしたいと思っている方に、ヒントとエールを送りたいと思います。



私は、高校時代、犬養道子さんの「人間の大地」という第三世界の現状を綴った本に出会い、自国の利益の追求のためだけに第三世界をもてあそぶ先進国の現実、そして、国際関係とは、如何に醜いエゴとエゴの戦いであることかに、衝撃を受けました。そして、その時から、将来は、貧困や貧困ゆえの戦争等に関わる仕事に就きたいと思っていました。ただし私が人一倍正義感が強かったというわけではなく、戦争まで起こし、個人の幸福などは一顧だにしない国際政治のビックパワーに圧倒され、そのメカニズムに興味を持ったという方が正しいかもしれません。しかし、開発援助の世界では、援助・被援助、つまり金の有り余る国と世界最貧国の間に実に大きな溝があるので、先進国の利益がかえって第三世界を食い物にする例がしばしば見られます。そこで、なによりもまず若いうちに、被援助国の現場であるアフリカに行って、与える側ではなく、与えられる側、つまり第三世界から見た援助、を現場を体験することによって学ばなくてはならないと思うようになってました。

そして1996年の11月、奇跡の司法試験合格を果たした私は、私の身近で、アフリカについて知っているピースボートという市民国際交流団体へ「アフリカに行きたい、しかも法学の知識を使って…」と無鉄砲なお願いをしたのです。そして正直なこと申しますと、国際援助に興味があっただけではなく、自己存在の確認の願望のようなものを含んでいたことを告白しなければならないと思います。



この突拍子もない私の構想(妄想)に、ぴったりの当てはまる国がありました。エリトリアです。1962年、ハイレ・セラシェ時代のエティオピアに併合されて以来(これもアメリカというビックパワーの思惑ゆえ)、東西両陣営のどちらの支援も受けずに30年の独立戦争を独力で戦い抜き、アメリカと旧ソ連の援助を受けたエティオピアの異例の植民地主義から、1993年に独立を果たしたばかりの国です。子の国の独立の過程は、世界中の、権利のための辛い闘争をしている人々に対して「たとえ大国の援助などなくても独立への希望さえ失わなければ、いつか夢は実現される」というグローバルなメッセージを含んでいるものです。

エリトリアでの採用が決まるまでに、すったもんだがありましたが、とにもかくにも何とか、1997年5月からエリトリアに滞在しています。エリトリアの司法システムは、エティオピア植民地時代の機構が一時的に継続使用されていますが、植民地時代の真の終焉のためには、先進国からの押し付けでない、自国にあった固有の法体系が必要であり、そのため、各国の法制度を調査しその経験から学ぶというのが、エリトリアの基本姿勢です。刑事法分野においても、刑法の改正に始まり、続いて刑事訴訟法・その他の法と、抜本的な改正を目指しています。



私の仕事は法務省法務省下の検察における調査員として、新憲法を刑事分野で実現するために必要な多くの改革そして法律のための世界各国に関する基本リサーチをすることです。ぜんざいエリトリアの検事総長から与えられたリサーチの課題は、世界各国の検察に付いて調査・批判し、レコメンデーションを作成するというものです。しかし、リサーチと一言でいっても一筋縄ではいかず、「英米法系、大陸法系、各々をカバーしたい。英、米、仏、独は必ず調査して欲しい」ということで課題そのものがハードなうえに、アフリカで孤軍奮闘、情報集めに乗り出してみたものの、インターネットも解禁されていないような第三世界で情報を集めることは非常に難しいのです。しかも私は司法試験という実務的でない知識しかないため(今となってはそれさえも危うい状況ですが)、私の知識はリサーチの仕事にほとんど使えないのが現状です。つまり、私一人ができることは本当に限られているわけです。

そして、そんな時、大きな力になってくれたのは、電子メールで繋がっていた日本の協力者の方々、そして特にピースボートエリトリアチームの私に対するバックアップです。エリトリアチームは参加資格を問わず、誰でもエリトリアに興味ある人が参加しています。このような事態を最初から予測し、日本での後方支援部隊として、エリトリアから請求のあった資料などの収集、運搬等を受け持ってくれています。すでに、30万円相当以上の英文の法律文献がピースボートを通じて寄付され、大変喜ばれています。またこのチーム名が示すように、法律だけに止まらず、エリトリアに関する様々な企画を立ちあげていまして、最近はフェアトレードが話題になっているようです。このチームでは、いつでも、メンバーを募集しています。私の最新情報もえられますし(欲しくない?)。また法律資料の購入、運搬のための募金も募っているので、ご協力ください。



前述のように、「私一人にできることは限られている」ということが、私の最初からの認識でした。そのための、ピースボートの助けによる情報収集以外にも、未来のエリトリア・日本間の関係の橋渡しをしたい、ということが、私の大きな希望です。そして、法律の分野で、今二つの試みを行っています。

一つは、国際弁護士上柳敏郎先生とピースボートの協力により、先生方にエリトリアに来ていただき、エリトリアの法曹関係者と懇談していただいた上で、ベトナムのような司法支援を広げていこう、というものです。これは既に97年10月初旬に実行され、上柳先生の日本法の説明は、西欧諸国から法律を輸入ししかしそれを日本独自の歴史とも相まって、エリトリア法曹界からの大きな関心を呼びました。私達としては、次の段階として、日本人法律家がエリトリアを訪問するだけでなく、エリトリア法律家を日本に招くことができたら、と考えているところです。



そして、二つ目はアスマラ大学に法律書を送るというものです。エリトリアの首都アスマラには、この国唯一の大学アスマラ大学があります。法学部は新設されたばかりでして、98年初めての卒業生約20人が巣立ちます。エリトリアでは、法律家の数が絶対的に不足していて、全国でも法学の学位を持っている人は20人に満たないと言われています。裁判所でも検察でも、元ゲリラ戦士が経験に基づいて、判断を下しているような状況です。30年の独立戦争により大学もほとんど機能していなかった関係で、政府そして法曹社会全体に中間層が不足しているエリトリアで、これからの未来を背負った重要なセクターです。私自身も自分のリサーチのため、法学部長を訪ね、そして学生たちとも仲良くなっていく過程で、この学部の深刻な資料、文献不足の実態を目の当たりにしました。特にこの国は将来、大方、大陸法にのっとって法改正が行われる手はずとなっているにも関わらず、特に大陸法の文献が全く無いような有様です。法学部図書室も、小さな倉庫のようなものです。法学部生からも、「本が全く足りない。卒業論文のリサーチも満足に行えない」という声が上がっています。そこで、法学部長ケブレアブ教授から、直接、「英語の文献を送ってください」というお願いがありました。

そこで、ピースボートと私は、今、「日本中の法学部生に対して協力を求めよう」と考えています。もし手持ちの英語文献があったらばそれで協力してもらい、または飲み会代を一回分我慢してもらって、資金的に援助してもらおうと考えているのです。日本の法学部生と、エリトリアの法学部生が、共に明日を担う法律家として協力し合うというのは、ある意味で新しい国際協力、国際交流の形となるのでは、と期待しています。しかし、ピースボートも法学を知っているマンパワーに欠けているというのが大きなネックになっています。そこで、全国の方学部生に呼びかけたいのです。この運動に関わりませんか、と。本をピースボートに送ってくれる、募金をしてくれる、または、英文資料を持っていそうな人、場所に関する情報、何でもかまいません。そして、できることなら、ピースボートのエリトリアチームに参加していただいて、このキャンペーンを進展させるのに協力していただければと思います。



そして、もう一つ呼びかけたいことがあります。それは「誰か、私の他にも、エリトリア法務省に来てボランティアをしてみませんか」、ということです。私が苦労して(本当に大変だったのです!)、始めたリサーチャーというボランティア、せっかく情報をくださる方々も増えてきたのにここで終わらせてしまっては、本当に勿体無い!また、法務省でリサーチできるなんてそうそうある機会ではないし、自分の成長剤となること請け合いです。バイタリティーある人、募集中です!



以上、長々と、自分とプロジェクトの説明をさせていただき、どうもありがとうございました。私のリサーチャーとしての仕事は、ボランティアというのもおこがましいぐらいで、授業料を払わずに、勉強させてもらってるという方がいいような代物ですが、金と物だけではない国際協力について考えるきっかけになればいいと思ってます。もし、以上の説明が、第三世界そのものに、あるいは法学分野での国際協力に興味のある方へのヒントとエールとなったら幸いです。そして、以下、思い付くままに、私がエリトリアに来て感じていることを述べさせていただきたいと思います。

私は、ここに来る前は、外国で暮らしたこともなく、家族と完全に分かれて暮らしたこともなく、人一倍寂しがり屋の自分が、一人で日本人さえほとんどいないようなアフリカの国へ行くことに、大変恐怖を感じていました。取り止めにしたいと思ったこととも、一度や二度ではありませんでした。しかし、一方で、典型的東大生として、頭でっかちの経験不足のまま社会に出ていくことに対しても、これではいけない、という焦燥感を覚えていました。自分をもっと大きな人間にしたい、という思いが、私を最終的にエリトリアに送り出したといえるでしょう。

しかし、ここに来てみて、ここは世界で最も過ごしやすい国の一つ、と確信するに至っています。治安、気候ともにいいですし、それにも増して、人々がとても親切なのです。これは、集団の中の孤独感など、現代問題にむしばまれている日本を考えるいいきっかけになってしまいます。エリトリアにきた日本人よりも、日本に来たエリトリア人の方が大変な思いをするのではないでしょうか。出会えばすぐに友達になるし、一人でアジアの国からやってきた小娘のことを皆が心配してくれます。外国人ボランティア援助関係者も多いので、彼らの話を聞くことはいい経験になると思います。また、アジア人が少なく、日本ではなかなか味わえない「我らアジア人」という気分を味わえます。また、ここでの、リサーチを含め、多くの活動を多くの法律家の方々が応援してくださいもます。このような方にいつも励まされ、助けられています。もちろんいいことずくめではなく、ひとりぼっちで寂しくなることもありますが、なんと電子メールという文明の力がここにもあるので、コンピューターにむかって愚痴ることもできます。リサーチも英語だし、大変なことはありますが、勉強になります。



こんな無鉄砲なこと、若いうちにしかできないのだし、本当に楽しい、いい経験になっていると思います。外国に出ることに限らず、もし今、何をするか、しないか、迷ってる人がいたら、是非「今やらずに、いつやるのか」と、エールを送りたいと思います。皆さんの参加をお待ち申し上げます。

アスマラにて 土井香苗




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