「あじょは!」とはティグリニア語で「がんばれ」の意味。
「あじょは!」は法律支援プロジェクトのニュースレターです。
法律支援プロジェクト他エリトリアについても知ることができる希有な情報誌です。
このページではその一部を紹介します。
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●創刊号● |
おてんば娘は旅立っていきました・エリトリア到着手記(土井香苗)(略)
あじょは創刊の辞(長尾浩行)(略)
私が見たエリトリア(松沢あゆみ)
「ホントになんにもない…」マッサワ港にゆっくりと近づいてゆく船のデッキから見えるのは、ベージュ色の乾燥した大地と、そこにポツポツと建つ家々。そしてその上下には、きれいな青い広い空と海が広がっている。初めて訪れたエリトリアという国に、私が感じた印象はそんなものだった…。
法律支援プロジェクト始まります(鈴木桃里)(略)
エリトリアとは?(略)
ある日の土井香苗(出発準備編)(略)
スタッフのたわごと(編集後記)(略)
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●第2号● |
これまでのエリトリアこれからのエリトリア(松沢あゆみ)(略)
法律支援プロジェクト(たなかつねよ)(略)
エリトリアの人々は命を掛けて独立のために戦ってきただけあって、新しい国造りに掛ける意欲は旺盛で、外国からの援助に依存しない国造りを目指しています。法律面でもエチオピアの法律をしばらくはそのまま使っているという状態が続きましたが、自前の法律を作ろうと、そして世界各国の経験や優れた法制度を取り入れようと、各国の法制度を研究しています。現在やっと憲法を制定したという段階で、これから刑法その他の法律や法制度を整備して行きます。そういう中にあって…。
おてんば娘が旅立つまで(土井香苗)
開発援助の世界には、援助・被援助間に大きな溝がある。大国(あるいは国際機関)は被援助国の立場に立つことをなかなかしない。大国が追求するのは国益である。将来開発援助の仕事をしたい私がアフリカに行ってみたいと思ったのはこのような理由からである。『第三世界自体から見た援助、その視点を手に入れたい』。こんな私の無鉄砲な申し出にピースボートは快く応じてくれた。「米国の憲法学者が法学生をインターンさせながらエリトリア憲法委員会をサポートしている。これに参加してみてはどうですか」。「憲法作り!」あまりのスケールの大きさに一瞬呆然としてしまったが、こんな面白い話があるだろうか。単純な私はこのおいしい話の虜になってしまったのである。しかし世の中そうは問屋が卸さない…。
走れエリトリア!(江口悟朗)(略)
レムレムさんに会ってきました(中尾啓子)(略)
エリトリアチームメンバー紹介(熊谷文麿)
僕がこのプロジェクトを知ったのは、土井さんの記事を新聞で見つけたからです。以前から興味はあったものの司法試験受験生という立場から国際援助などには縁遠く感じていました。けれど土井さんと同じ大学であり法律支援ということもあって身近に感じ、ミーティングに顔を出してみました。力不足ではあるけれどリスクのない若い時期にこそできる仕事もあるわけで…。
ある日の土井香苗(仕事が始まった編)(略)
スタッフのたわごと(編集後記)(略)
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●第3号● |
エリトリアへ法律専門家派遣(吉岡達也)
1997年10月中旬、エリトリア法務省の受入れで、日弁連国際委員会メンバーの上柳弁護士に、法学館の長尾浩行さん、エリトリアチームスタッフの宮崎雅浩さん、吉岡達也を加えた4人でエリトリアに行きました。この派遣団は、約1週間のセミナー活動の後、大きな成果を得て帰国しました。6月から現地の検察庁でボランティア活動中の土井香苗さんが、その下準備に奔走してくれたかいあって、セミナーにはエリトリア法曹界のほとんど全員が出席。上柳弁護士の活躍が、エリトリアの新聞とテレビで大きく取上げられました。
また、女性ながら歴戦の勇士であるフォツィア法務大臣を始め、ムサ検事総長、タアメ最高裁長官といったエリトリア法曹界の中核をなす人々と膝を突合わせ、今後の協力関係について話合う機会を得たことも大きな収穫でした。「日本の司法制度、法律などの良いところも悪いところも知っていただきたい。その上で、時には取入れ、時には反面教師にしてください」。熱意のこもった上柳弁護士の言葉に、フォツィア大臣は大きく頷き、「私達も押付けの『援助』は要りません。しかし、対等な立場での『協力』は大歓迎です。私達のこの出会いがエリトリアと日本の法曹界の協力関係へと発展することを期待します」。
この言葉を胸に、今後ともこのキャンペーンを盛上げていこうと、スタッフの面々は元気いっぱいです。今後ともよろしくお願いします。
エリトリア見聞録前編(宮崎雅浩)
(--前半省略--)1日目は楽しいままに終り、2日目いよいよメインイベント。この日は多くの法律専門家と会ったり、上柳先生がセミナーを開いたりと、多忙な一日でした。
まず、午前中は法務省へ。法務省では今回私達の方門でエリトリア側担当者であるレザネさんと、法務大臣のフォツィアさんに面会しました。フォツィアさんは女性、つまり女性大臣です。語り口は静かで穏やかそうですが、熱いものを内に秘めていそうな方です。上柳先生の「日本の法制度の良い面も悪い面もエリトリアの参考になるのでは…」という主旨の話に共感していただけたらしく、いい雰囲気でこの面会を終えることができました。
午後には、アスマラ大学法学部を訪問。法学部長のゲブレアブ教授を訪問し、講義にゲスト参加しました。アスマラ大学は本当にアカデミックな雰囲気の漂う「大学らしい大学」でした(ただ図書館の蔵書数は不足しているようですが)。講義では上柳先生が、日本の司法試験の話や法曹界の現状についての話などをされ、学生も非常に興味を持ってくれたようでした。
夕方からはエリトリアの法曹関係者を相手に上柳先生が、「戦後日本の司法の役割」というテーマでセミナーをされました。法務大臣・検事総長・最高裁長官などを含め、100人を越える人たちに集っていただけました(エリトリアの法曹関係者は200人もいないという話だったのですが)。最後にはテレビ局のカメラまで…。この嬉しい誤算のために、僕は何度もセミナー会場である法務省とコピー屋の間を往復するはめになったのですが…。このセミナーの様子はその日のテレビニュースで伝えられたり、新聞の一面に載ったりと、大きく扱ってもらって、とても充実感を感じました。
3日目の午前中は、法務省の近くにある高等裁判所を見学。前日に担当の人に許可をもらっていたので、写真やビデオなどの撮影も出来ました。裁判の雰囲気は日本とあまり変らないような気がします。ただ、心持ち日本よりも開放的で、裁判所の中にも入りやすい気はしました。
午後からは、再び、セミナーを2つ行いました。一つは「ビデオ・刑事模擬裁判」の放映、もう一つは上柳先生による「日本の検察」をテーマにした講演です。「ビデオ・刑事模擬裁判」は、日本語のビデオでしたので、時々停止しながら英語で説明をするという形をとりました。ここではロースクール留学経験のある上柳先生と、最近TOEFLで609点を採ったという土井さんが大活躍でした。「日本の検察」は、検察官対象のものでしたので、前日のセミナーよりは参加者は少なかったようですが、それでも5,60人の方々に集っていただき、盛況でした。質問も数多く出され、エリトリアの法曹関係者の関心の高さを改めて感じました。
以上で、公式イベントは無事終了。日本を出発する前は想像すらできなかった大掛りなものになって、本当に驚きの連続でした。私達の法律支援もここまできたのですから、息の長く続くプロジェクトにしたいと、切に思った2日間でした。
エリトリア日記かなえの一日週末編(土井香苗)(略)
エリトリアレアグッズいろいろ(松沢あゆみ)(略)
エリトリア大使がピースボートを訪問(中村佐知江)
97年10月21日、日本駐箚エリトリア大使、トゥオルデ特命全権大使(兼轄、中国駐在)と領事官のアラヤ氏が、天皇の信任状認証式に参加するために来日した。トゥオルデ大使はなんと1人で北京にてアジア9カ国の大使を務める多忙ぶり。初の来日、しかも到着したばかりにもかかわらず、ピースボート事務局での歓迎会の質問攻撃にアラヤ領事とともに熱心に答えてくれた。私がエリトリアに惚れ込んでしまったその歓迎会(二次会は普通の居酒屋で夜中までやった)での、印象的な話を紹介したいと思う。
「エリトリアは長年の戦争が終り、独立したてて、不足しているものばかり。でもヒモ付の援助なら要らない」。きっぱりと言放たれた大使の一言。見返りを期待した援助が途上国のためにはならないというのは、援助活動に携ってきた良心のある人々によって、ようやく辿り着いた結論ではある。しかし、被援助側にとっては、やはり背に腹は代えられないというのが本音ではなかったか?そんな驚きと疑惑を抑えきれずにした、「なぜそんなハッソウが出来るのか?」という質問に、大使は穏やかに語ってくれた。
「我々は長年に渡ってヨーロッパやエチオピアという大国と戦ってきた。私自身も戦場へ赴いたし、死傷者も数え切れない。それこそ血を代償に独立を勝取ったようなものだ。それなのにヒモ付の援助を受けて、いつまでたっても先進国の援助が無くてはやっていけないようでは、真の独立とは言えないでしょう。実際に昨年からはWFP(世界食糧計画)からの食糧援助までも断切ったという頑なな姿勢からは、長年の戦いから学んだ「自分の国は自分で守る」というプライドの高さがうかがえる。それでいて敵国であったエチオピアを「最も仲の良い隣国」と称するバランス感覚。理想と現実のギャップの狭間で、いまだかつて世界が克服できていない課題にチャレンジしている彼らを、ヒモなしで応援したいと、ピースボートのキャップをかぶりほろ酔い気分の彼らを見送りながら、心からそう思った。
アスマラ大学へ法律書を送ろう(略)
エリトリアチームメンバー紹介(西尾拡)
スタッフのたわごと(編集後記)
(略)エリトリアに新しい通貨NACFA(ナクファ)が97年11月8日から登場。ナクファとは、独立戦争時、EPLF(エリトリア解放戦線)の難攻不落の本拠地であった土地の名前からとった。イサイヤス大統領は「この通貨は我々のアイデンティティや、歴史、愛国心、そして誇りある戦いを記しているものである」と発言した。
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