船内

複雑な路線をたどり続け、身も心も疲れが見え始めた頃、ようやくたどり着いた大阪南港。さあ、ここから約2日(?)にわたって沖縄への黄金の海上に旅のラインが引かれることになる。


記者会見の様子
平成十年六月十七日、真夜中の出航。真っ暗な 夜景のスクリーンの中、テープを投げても受け止 めてくれる人のいない(つまり見送り客のほとんど いない)南港のターミナルを、船は静かに離れた。
さて、ピースボートが初のブロックチャーターをした、 このフェリー客船、『飛龍』。フェリーにしては大型で、 美人で、乗った瞬間の感想が、「乗って良かった!」 だった。と同時に、たった二泊の何ともあっけない 船旅だが、その限られた中で自分は何を得、何を 感じ、またどのような形でそれらを今後の人生に生 かしていくか----そう心にまざまざと刻ませられた のもこの瞬間である。

二日目の十八日はひたすら航海で終わった。やはり、長期クルーズのように船内自主企画など がやれず、また水先案内人の講座も一人一コマ程度で終わってしまうのが悲しくわびしい。それ に翌朝には那覇新港(目的地)に着いてしまう。あまりにも短すぎて、実感がわかない。むなしさ を感じながら時は過ぎていった。

三日目、船上で迎えた最後の朝、そして沖縄での最初の朝。現地行動には申し分ない、日本晴 れ。さて、ここからは皆、各自に別れてそれぞれのコースを満喫することになる。那覇新港より船 を振り返って一言エールを送りたい。今までお世話になった飛龍くん、どうもありがとう。そしてお 疲れさま。また会う日までごきげんよう。
(本多康子)


始めてピースボートの船に乗った。といっても、船の中には実質一日しかいないわけだから、 ピースボートの船の、本当の楽しさは分からないのかもしれないが。出航前の船のデッキでは、 河内屋菊水丸さんが「基地バイバイ音頭」を歌い、僕たちの出航を祝ってくれた。

一夜開けて、まず、灰谷健次郎さんの講座「いのちと自然」にでた。沖縄についての知識をいくら 詰め込んでも、本当の沖縄の優しさや悲しみは分からない。実際に身体で触れてこそ始めて感じる ことのできるものだ、といった話。何でもそうだと思う。どんなことでも知識だけでは本当のことは 分からないだろう。そこに魂の交流みたいのがないと。今回の船旅は4泊5日と短いけれども、 沖縄をほんのちょっとでも感じることができればいいな。

次に前田哲夫さんの講座「ガイドライン初級講座」にでた。初級講座というだけあって、すごくわか りやすく、ガイドラインの問題点を易々と理解できた。下手すると自衛隊をアメリカ軍の露払いとし て世界中に派遣できる様な危険なものを、国会を通すことなく、どんどんと決めてきたなんて、 何を考えているんだ。むちゃくちゃだ。日本はどうなってしまうのだろう。

真喜志好一さんの「海上へリポートと沖縄」では、沖縄の抱えている問題がつぶさに理解できた。 先ほどのガイドラインの話などと相まって、基地の問題がそのまま自分自身にも襲いかかってくる ことが実感として分かり、非常に危機感を感じた。今のままでは日本は本当にアメリカの植民地と化してしまう。

ピースボートの15年間の歩みを振り返る「みんなが主役」では、ピースボートの船が吸い込まれる ように、その時問題のある地域に寄港(あるいは近くを航海)しているのがよく分かった。自らの 目で世界中を体験することの重要性を改めて発見した。ピースボートに乗れば、自分が歴史を目 の当たりにすることができる。

夜は真喜志さんの「一日で弾ける三線講座」にでて、三線を弾かせてもらった。夜遅くまでみんな で三線に合わせて歌ったり、踊ったり、本当に楽しかった。
(森一成)


各コース・オプショナルツアー / 使用フェリー / 沖縄大交流イベント / 水先案内人