コロンボ先遣報告
 『光り輝く島』――スリランカ。そんな名前を思いついた人びとが暮らすこの島は、しかし、約20年間の内戦に苦しんだところ。いまもその傷跡は生々しく残っています。しかし、この島の歴史はとにかく古い。世界遺産にはひたすら感動し、人びとのはにかんだ笑顔にはうれしくなったり切なくなったり……とにかく食べて笑って泣いたスタッフ・澤田かをりのスリランカ先遣報告をお届けします。
 コロンボ市内の風景です。思ってたよりずっと整然としてました。でも、このときは何かと慌ただしくってよくみてないんですけど…、ハイ(笑)。左端に見えるのがインドでもおなじみの「自動三輪車」。スリランカでは「スリーウィリー」と呼ばれてます。
 私たちが訪れたこの日はちょうど「ポヤ・デイ(満月の日)」。満月の夜にはこんなふうに、 きれいなイルミネーションが街を彩ります。また、ポヤ・デイは仏教の礼拝日でもあるんですよ。満月の夜は月に一度だけ。月にいちどだけ見られる、スリランカの顔です。
 私が訪れた5月は、スリランカでは結婚ラッシュ。どこに行っても結婚式に遭遇しました。ここではまず、白い服を着て式を挙げ、そのあと1泊2日のハネムーンへ行きます。帰ってきたら、今度は赤い服を着て披露宴をやるんだそうです。そんな一連の「行事」だけで1週間はかかってしまうんだとか。うーん、体力使いそう…。
 シンハラ王朝最後の都・キャンディの湖畔にある仏歯寺を訪れました。寺の名前の通り、ここには「ブッダの歯」が奉納されています。礼拝堂にある五色旗はブッダが悟りを開いたときに射した後光の色。色ごとに「慈悲」とか「力」とかいう意味があるんだそうです。
 街のサリー屋さんにて。インドの民族衣装でもあるサリーですが、スリランカ女性の着付けはインドとちょっと違います。写真のように腰まわりの「ひらひら」を出すのが、いわゆるキャンディアンスタイル。本来は1枚の布なんですが、最近は「ひらひら」部分だけが分かれているセパレートものも人気だそう。そういえば日本にも「セパレート」の着物、ありますよね。
 私が大好きになったスリランカのカレーです。毎日食べた結果、手でたべられるまでに成長しました(笑)。日本のカレーライスとは違って、いわゆる「煮込み」はすべて「カレー」。だから、肉や魚だけじゃなく、バナナのカレーなんてモノもあるんですよ。ちなみにスリランカのカレーは「世界一からい」んだそう。ああ、はやく食べにいきたい…。
 後ろの方に小さく写っている人に注目。お寺では、こんなふうに座り込んでいる人をよくみかけると思います。実はこれ、お祈りの姿勢。仏舎利の方を向いて、うつむいて瞑想するんだそうです。どうか、そっとしておいてあげてくださいね。
 西暦500年ごろの王宮が置かれた場所・シギリヤ。これは「シギリヤ・レディー」と呼ばれる女性たちの壁画です。1500年たってなお鮮やかなこの赤や緑色は、アフガニスタンから持ってきた石でつくった色なのではと言われています。また、ここはフラッシュ撮影禁止。なんでも、光でこれらの鮮やかな色がはげてしまうんだとか…。
 タミル人・シンハラ人・イスラム教徒があいみだれて争っていた20年間――その内戦で孤児になった子どもたちが暮らす孤児院を訪れました。内戦が終わったからといって経済状況がすぐによくなるはずもなく、貧困や離婚などが原因でここに来る子もいます。ここでは子どもたちと缶蹴り遊び。すっかり仲良くなりました。
 セイロンティーの産地としても有名なヌワラエリヤ。茶摘みをしているのは、主にタミルの人たちなんだそうです。ただ葉っぱをちぎればいいわけではなく、ちゃんと新芽だけが摘まれているか、葉っぱがちぎれてないかどうか…そんなチェックも厳しいそうです。彼女たちの爪がお茶の色に染まっていたのが印象的でした。
 ヒンドゥー教徒・仏教徒の双方にとって、象は神聖な動物。親が死んでしまったり、群れからはぐれた子象の面倒を見る「象の孤児院」もあります。これは、宿舎(?)から水浴び場に行く途中の象たち。きちんと列をつくって、ふつうに街中を歩いてます…うーん、なんか、カワイイ。
 私たちが訪れる直前、スリランカ南部では大洪水が起こりました。私たちが訪れた村でも、家が流されたり土砂崩れでつぶれたり、と、とにかくひどい状況でした。中には、村につながる道がすべてふさがってしまい、ヘリコプターで救援物資を運んでいるところもあるそうです。つぶれてしまった家の前でたたずんでいた女の人の顔は、いまでも忘れられません。こんな大変なのに、どうして、こんなふうに笑ってくれるのでしょうか…。
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