カルタヘナ先遣報告
 スペイン統治時代、エメラルドと金が豊富に採れるということから中米の最重要港となったカルタヘナ。そこはまた、アフリカ大陸から連れてこられた奴隷たちの到着地でもありました。世界遺産に登録されるほどの美しい街並みと豊かな自然。そして、重い歴史を背負いながらもとびきり陽気に生きる人たち。「この国はとっても複雑。でもその複雑さを知れば知るほど、きっと大好きになる」――先遣スタッフ、グティエレス一郎が見たカルタヘナをご紹介。
 街はずれにある丘からは、カルタヘナが一望できます。近代的なビルと古い石造りの建物が両立している街の様子がわかりますよね。また、この丘には修道院もあります。それは16世紀の終わりごろ、この地にやってきたキリスト教の宣教師たちが建てたもの。彼らによって、先住民族が信仰していた土着の宗教は「邪教」と言われ、追い出されてしまったんですね。中南米にカトリック教徒が多いのは、あちこちで同じようなことが起こっていたからなんです。
 そして、ここが有名な旧市街。スペイン統治時代の姿をそのまま残していることでユネスコの世界遺産に登録されました。また、かの大作家ガルシア=マルケスが「世界で最も美しい街」と讃えたことでも知られてます。木製バルコニーに咲き乱れる花々、色とりどりの壁を見ながら散策するのもまた素敵。ちなみに、路地の奥に見えるのはサン・ペドロ・クラベール教会。
 街のあちこちには、たくさん彫刻があります。この彫刻は「ドミノ」をして遊ぶ人の光景。ラテン版麻雀・ドミノは、ラテンの国でいちばんメジャーな遊びです。僕の実家はメキシコなんですが、両親も金曜日は決まってドミノで遊んでましたね。あ、「ドミノ倒し」とは違うモノですよ(笑)
 こんなふうに、古い建物を利用してつくられたレストランもあちこちにあります。なかなかいい雰囲気でしょ?
 コロンビア随一のリゾート地・カルタヘナ。エメラルドや金が採れることから、海賊に襲われることもたびたびだったそう。そこで、街に面する湾の入口にはいくつもの要塞が造られました。これは、その中でもいちばん大きなサン・フェリペ要塞。カルタヘナに入る船はすべて、要塞に見張られながら入港してたんですね。なんと要塞どうしをつなぐ「地下トンネル」もあるそうですから、その「危機管理体制」たるや……。
 スペイン統治時代、アフリカ大陸からたくさんの黒人が「奴隷」としてここに連れてこられました。あの美しいカルタヘナの建物や城壁を造ったのも彼ら。けれど彼らは、キツイ労働から逃げ出し、独自のコミュニティーをつくりあげました。それが「パレンケ」。パレンケの人びとは、祖先から受けついだ故郷――つまり、アフリカ大陸――の文化を連綿と受け継いできました。ここでしか話されないアフリカ系の言語やアフリカ系の音楽に、それがはっきりあらわれてます。
 コロンビアの奴隷制が廃止されたのは1821年、スペインから独立したときのことです。
 そんなパレンケのひとつ「アロジョ・デ・ピエドラ」を訪れました。真ん中に立っている黄色い服の男性が僕らのパートナー、アドルフォさんです。今度ピースボートが来るときにどんな交流ができるのか、村のみんなが集まってミーティングしています。中南米では「男性優位主義」なところが多いんですが、ここには女性も多かったのが印象的でした。
 コミュニティーの子どもたち。カメラを向けるとこんな騒ぎになってしまいました(笑)。ここでは、自治会が中心となって幼稚園なども運営しています。子どもたちが勉強を続けられるような奨学金制度もつくられたそうです。
 これは海辺のリゾート…ではありません。アロジョ・デ・ピエドラの人たちは、ここでマングローブの苗を育てているんです。
 かつて、ゆたかなマングローブの森があったカルタヘナ。けれど、入り江にたくさんのリゾートホテルを建てた結果多くの森が消え、その根っこを住処にしていた魚たちもいなくなってしまいました。彼らはここにマングローブを植えることで森を再生し、入り江の生態系も復活させようとしています。そこで捕れた魚は、彼らの収入源にもなるんです。寄港する頃は、この小屋にマングローブの青い苗が、ずらっと並んでいると思いますよ。
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