[ムッソリーニと第二次世界大戦]
第一次世界大戦では、戦勝国の一員であったイタリアだが、その後の経済の混乱は、国民の間に大きな不安を生み出した。これを吸い上げて権力の座についたのが、ベニート・ムッソリーニである。
1921年にファシスト政党「国家ファシスタ党」を結成したムッソリーニは、翌年、イタリア首相に就任。「地中海をイタリアの海とする」ことを夢に描いていたと言われ、38年には現在のエチオピア、エリトリア全土をも支配下に置いている。ドイツの独裁者アドルフ・ヒットラーも、「すべては国家の中にこそ存在する。人間も精神も国家を離れては存在し得ない」というムッソリーニの主張に強い影響を受けたという。
日独伊三国同盟を経て、39年、第二次世界大戦が勃発。連合国が北アフリカ戦線をやぶってシチリアに上陸した43年、ムッソリーニは失脚する。国内の反ファシスト勢力が結集してバルチザン闘争をおこなった結果だった。ドイツ軍はムッソリーニを救出して北イタリアに傀儡政権を成立させ、抗戦を継続しようとする。しかし、その敗色はあきらかで、45年4月ムッソリーニは愛人とともに逃亡中のところを、スイス国境近くの町で捕らわれ、パルチザンによって射殺された。その1ヶ月後ドイツも連合軍に対し全面降伏。翌年、国民投票によって「イタリア共和国」が誕生した。
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