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五月広場の母たち
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1976年の軍事政権樹立から7年間、約20万人が軍部と政府によって拉致され、監禁、拷問の末に殺害、あるいは行方不明の運命をたどったというアルゼンチン。83年には民政移管が成ったものの、のちに軍部との「協調」をはかる政府は軍部の責任追及を放棄、いまだに真実は闇の中に葬られたままだ。
そんな中、軍事政権時代から、行方不明者の生還と真実の究明を訴えつづけてきたのが、行方不明者の母親たちを中心に結成された「五月広場の母たち」だ。毎週木曜日、首都ブエノスアイレスの大統領府前にある五月広場を、白いハンカチを頭に巻いて、無言の「抗議の行進」を続けてきた。このコースでは、その「母たち」の事務所などを訪問。いまも3万人あまりの行方がわからないままだという現実を知った。
「母たち」が毎週抗議行動を行う五月広場。地面には、母たちが頭に巻くハンカチのモチーフが描かれている。
抗議デモなどの多かった軍政時代は、このモチーフの上に立っているだけで「反政府行為」 と見なされ、逮捕されてしまったという。そのため、母たちは、立ちどまって捕らえられることを避け、ひたすらこの広場を歩くことで抗議の意を示すようになったのだという。
五月広場の中心にある女性像。視線の先にはちょうど大統領府があり、それを「見守る」という意味で造られた。しかし現実は、不安定な政局が今も続く。
「平和のための基礎として芸術や環境を育てる」という理念のもと、芸術作品を通して平和を訴える活動をしているNGO「CADDAN」の事務所。
失業率が40%、海外債務も増えつづけるいっぽうだという、アルゼンチンの厳しい経済状況についても話を聞いた。
CADDANが作ったメッセージステッカー。2度と軍政を繰り返さない、という意味がこめられていて、文字の上に描かれているのは銃口がねじられた銃。「武器を憎む」という意思を表しているという。
昼食後、「五月広場の母たち」の事務所を訪問した。もう高齢になっている「母たち」の口からは、「軍と癒着した大企業が、経営に邪魔な人間の拉致を依頼していた」「軍部が、妊娠している女性をさらって子供を産ませてから殺し、子供のいない軍の幹部に赤ちゃんを売り渡していた」など、耳を疑うような話がいくつも語られる。
1人の女性は、「大切な人がある日拉致同然で連れていかれ、無事かどうかも判らないまま。そんな中で過ごした20年間は、私たち残された家族も拷問を受けているようなものだった」と話す。
行方不明者の中には日系人も含まれている。これは今も行方が判らない14人の日系人の写真と名前が入った旗。その家族たちは、日本の外務省にも「真相を究明するよう、アルゼンチン政府に働きかけてほしい」と訴えているが、未だに協力は得られない。
メンバーのひとりは「ピースボートのみなさんには是非、このツアーで得た何かを日本に持って帰り、何らかのアクションを起こして欲しい。例えば今日聞いた事、感じた事を日本で5人に話すだけでも、100人もの人がこの事実を知る事になるのです」と訴えた。
(関和明)
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