国名
 エリトリア国 State of Eritrea

ことば
 ティグリニア語、アラブ語
・歴史
 古代王国の滅亡後、トルコ、エジプトなどの支配時代を経て、イタリアの支配下に。第二次世界大戦中、隣国エチオピアがイタリア軍を敗走させ、戦後国連の決議によりエリトリアとエチオピアとの連邦結成が決定。しかし、エチオピアは徐々に抑圧を強め、エリトリアの自治権を奪ってゆく。1962年にはエチオピア皇帝ハイレ・セラシエが「エリトリアの併合」を発表。以後、エリトリアの独立を求める人々は、30年に渡る長い独立戦争を闘った。93年、国連監視のもとで独立を問う住民投票が行われ、9割を越える人々が独立を支持。正式独立が決定した。
 旧宗主国であるエチオピアとは友好関係を保っていたが、98年、国境確定や港の使用料問題をめぐって紛争が再燃。2000年6月に停戦が成立したものの、数万人が難民となって、国内やスーダンの難民キャンプに流出した。2001年になって、ようやく政府による難民の帰還が進められている。

港町マッサワめぐり
紅海に面し、「紅海の真珠」と呼ばれた港町マッサワをひとめぐりするコース。1993年、30年間に渡った独立戦争も終結し、正式に独立を宣言。その宣言に先立って結ばれた91年の隣国エチオピアとの和平協定から10周年の祝典も開催された今年、今も街中に残されている内戦当時の傷跡を巡り、復興の槌音が響き始めた港町マッサワを歩いた。

女性プロジェクト訪問
エリトリアの女性たちの経済的自立を目指し活動するNGO「エリトリア女性連盟」を訪問。女性たちやスタッフの話を聞き、その活動内容を学びました。そして、女性たちとの交流の一環として体験したのは、エリトリア伝統料理「インジャラ」作り。短い訪問でしたが、「自分たちの手で国を作っていくんだ」という女性たちの強い意志を感じ取る事ができ、また、その素敵な笑顔がとても印象的でした。

エリトリアで温泉体験
港から車で1時間半かけてガテライ村へ。周りの村からも持病のある人が数週間滞在するという湯治場に到着。「天候によっては温泉が消滅してしまうかも」なんて注意を受けていただけに、その姿を確認できただけで結構感動モノ。
気温40℃以上の中、早速水着に着替えてつかったのは、これまた40℃以上のお湯。効能は分からずでしたが、久しぶりに足を伸ばし、肩までつかれば1ヶ月の旅の疲れもどこへやら。「アフリカで温泉につかる」そんなとっておきの1時間にみんな大満足。

ピースキャラバン
国旗の図柄にもなっているように、ラクダはエリトリア国民の象徴ともいえる動物。30年におよぶ内戦時には、強大な軍事力を誇るエチオピア軍の戦車に対して、『ラクダ部隊』が勇敢に戦ったという武勇伝も。そんな話を思い浮かべつつ、実際にラクダに揺られてみようというコース。ときにはサウジアラビアにまでその足を伸ばすという、遊牧民族であるラシャイダ族の人たちの案内で、行ってきました灼熱の荒野。

独立30年戦争といま
エチオピアとの長い内戦を勝ち抜き、1993年に独立したアフリカで最も若い国エリトリア。エチオピアとの国境紛争も一応の終結をむかえ、国全体が新たな国づくりへと歩みだしています。エリトリア独立闘争について、そして、エリトリアの目指すこれからの国造りについて、元兵士の方からお話ししていただきました。
「敵が何を壊しても私たちは再建していくだろう。」とは、独立戦争を闘った元兵士で現在、報道協会副会長のアリさん。
「独立後も援助など他国に頼ってしまっているアフリカ諸国が多くありますが、私たちはアフリカ人という誇りをもち、そのような間違いを犯さず、本当の意味で独立を成し遂げたい。そして、アフリカのモデルとなるような国になっていきたい。また、全ての国民が政治に参加できる、草の根レベルで実践される、真の民主主義が存在する国を造ってゆきたい。」
(降矢)

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