7月9・10日
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フェズで世界最大の迷路体験
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「世界一複雑な迷路の町」、フェズの旧市街。その中には壮麗なモスクや神学校、美しいパティオを持つ民家、公衆浴場、スークと呼ばれる市場がひしめいている。フェズやムーレイ・イスマイル廟のあるメルクス、古代ローマ遺跡のあるヴォルビリスなど世界遺産に指定された旧都や、ムーレイ・イドリスなどの聖地もめぐる、贅沢なコースだった。
2つの丘にまたがってびっしりと家が建ち並ぶムーレイ・イドリス。ここは、789年に、モロッコ最初のイスラム王朝、イドリス朝が開かれたところ。創始者のムーレイ・イドリス1世はモロッコでもっとも崇拝されている聖者であり、彼の遺体のあるこの町は、モロッコの人々から聖地として崇められている。イスラム教徒の国では珍しく飲酒を禁止されていないモロッコだが、この町では飲酒する人はいないそう。聖者を敬っているからだという。
メクネスは、現モロッコ王朝であるアラウィー朝が17〜18世紀まで都と定めた町。フェズに比べると、ここに残る建造物は比較的新しく、色鮮やか。メクネスの最盛期は17世紀のムーレイ・イスマイル王の時。彼の死後に建てられたムーレイ・イスマイル廟はモロッコでもっとも美しい霊廟と讃えられている。王都の入り口に建つモンスール門とあわせ、イスラム建築の最高傑作である。
ヴォルビリスの古代ローマ遺跡。この町は紀元前40年、ローマ帝国の属領となり2万人もの人が住んでいたという。40ヘクタールの敷地内には凱旋門や神殿、公共広場、浴場など、いくつもの邸宅群などが修復されている。3世紀末には、ベルベル人の圧迫により衰退し、ついにローマは撤退、8世紀にはムーレイ・イドリスの支配下に入り、イスラム教の街となる。ローマの遺跡ながら、イスラムのモザイク模様も混在する一風変わった遺跡だ。
床や壁に残るモザイクは、当時の状態ほぼそのままに保存されている。実はこのモザイク、真ん中の絵はローマ支配時代のもので、その周りのモザイクは後にベルベル人が付け足したものだという。このデザインは、ベルベル人の入れる入れ墨にもよく使われるモチーフだそう。
ブー・ジュルード門。1913年に建造された。外面は幾何学模様によって彫刻されている。7つある門は曜日によって使い分けられ、真ん中の門が王の門と呼ばれている。
フェズの旧市街メディナ、フェズ・エル・バリ。9世紀の初め、モロッコで始めてのイスラム王朝、イドリス朝が開かれたところ。城壁の内壁には、迷路のように入り組んだ路地が延びている。高い建物に囲まれて、太陽の方向も分からない。坂が多く道が細いために車が通ることが出来ず、荷物の運搬には今でもロバが使われている。歩き回るうちに、同じ場所をクルクル回っているような錯覚に陥った。
旧市街にある、なめし革の工場。14世紀から同じ方法で皮をなめしている。らくだ、牛、羊、山羊など、イスラム教徒が食べる動物の皮だけを扱っている。まず、皮と毛を分けるために石灰水に一週間浸ける。その後、鳩の糞に一週間浸け、糞に含まれたアンモニアで皮を柔らかくする。皮を染めるのには、芥子(赤)、サフラン(黄)、ミント(緑)など、天然の染料を使うそう。
旧市街の中で食事。メニューは伝統料理のクスクス。実はこのレストランは民家をそのまま利用したものだそう。イスラム教徒の民家は中心に中庭があり、左右対称に部屋が配置されている。女性は夫以外には顔を見せられないため、家の外側に窓はなく、2階の中庭に窓がついている。
北アフリカ最大のモスク。かつては大学としても使用されていた。世界で一番最初に出来た大学として、ヨーロッパや他のアラブ諸国からも数多くの留学生が学びに来ていたそうだが、植民地時代、フランスへの反抗運動が高まったため、廃止されてしまった。
旧市街にあるザウィア(修道院)。ここにはムーレイ・イドリス2世の墓がある。旧市街の中で、もっとも聖なる場所とされているところだ。
(森一成)
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