3月22日
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波乗り寄席
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この日の船は見事な(?)ほどの大揺れ…にも関わらず満員御礼の中、開催されたのが「南米亭(なんまいてい)一門会」による『波乗り寄席』でござい〜。
古今亭菊千代師匠からも「文字通りの波乗りですね」なんて言葉が聞かれたが、ナミビア出港後から毎日練習を重ねてきたお弟子さん達たちは、揺れる会場をものともせずに熱演を披露。「小咄」、「寄せ唄」、「リレー落語」、「踊り」に、もちろん菊千代師匠の落語も交え、締めは定番「大喜利」。見事、特訓の成果が披露されたその様子に、会場からは驚きとともに大きな笑い声が聞こえ、客席そして一門一同が大満足の一夜となりました。
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五月広場の母達〜軍政下に生きる〜
/グラシエラ・ロイス・星野弥生(ベンポスタ共和国駐日大使)
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25年前、アルゼンチンで起きた軍事クーデター。ともに学生運動を闘ってきた夫は、軍によって誘拐され、未だ行方不明のままというグラシエラ・ロイスさん。そしてピースボートが2年前に、初めてブエノスアイレスを訪れたことをきっかけに、やはり軍政時代に子供たちを連れ去られ、いまも抗議行動を続けている母親たちのグループ「五月広場の母達」との交流を持つことになった星野弥生さんのお二人に、当時の一般市民の生活や、軍政下のアルゼンチン市民の生活や、その中を生き抜いた日系人たちの現在についてお話いただいた。
ロイスさん
「軍の管理下に置かれた人々の生活は、文化、教育、生活、すべてにおいて検閲を受け、規制されていました。一切の集会、そして反政府的とされた音楽や演劇も同じく禁止されたのです。さらには、一部の子供用の絵本でさえ、同じ理由により燃やされました。そうした状況下において、反政府活動をする人は次々に誘拐され、結果、軍は思惑通り人々の心に恐怖を植え付けることに成功しました。
しかし、そんな恐怖政治の実態は、1978年にサッカーのワールドカップで世界中の報道関係者がアルゼンチンに入ることにより、広く知られることになります。それによる世界各国の協力もあって、アルゼンチンは現在の民主的な政府を持つにいたりました。しかしいっぽうで、アルゼンチン国内では、軍政当時の罪を裁くことが出来ない、という法律が定められてしまいました。それに対して、スペイン、イタリアといった国が、『アルゼンチン国内で自国民が行方不明になった』と訴え、軍政の責任者達を自国で裁判にかけようとしています。彼らと私たちとの協力関係は現在でも続いているのです。」
星野さん
「2年前、ピースボートが初めてブエノスアイレスを訪れるのをきっかけに、自らの子供が誘拐されたまま行方が知れないという母達が、互いに励まし、そして五月広場で無言の行進を行って真相究明と子供の名誉回復を訴えているグループ『五月広場の母達』の人々とお話しすることが出来ました。そこで『あれっ、日本人?』という顔に出会ったんですね。話を聞いてみると、彼女たちは日系人だと言うんです。そこで初めて知ることとなったのですが、当時、軍によって誘拐された人の中には日系人も含まれていたんですね。ところが日本政府は、日系人のことを『日本を捨てた人達』と見なして、何の対応もしていないというのです。そんな日系人の母親たちにとっても、『五月広場の母達』の活動は大きな心の支えになっているのです。」
(竹端)
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