3月21日
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五月広場の母達〜私の夫はどこへ?〜
/グラシエラ・ロイス(人種・反差別委員会委員長)
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現在、アルゼンチンで広く人権擁護の活動を続けるグラシエラ・ロイスさん。彼女は、1976年に勃発した軍事クーデターとそれにつながる軍政に反対したがために政府によって連れ去られた家族をもつ人たちの集い、「Familiales(行方不明者家族の会)」にも所属する。彼女の夫もまた、いまだに「行方不明」のままだという。
ピースボートは、1999年のブエノスアイレス初寄港以来、子供たちを軍政時代に失った母たちのグループ「五月広場の母たち」との交流を続けてきた。そして今回ピースボートがブエノスアイレスへ入港する3月24日は、軍事クーデターからちょうど 25年目の記念日。国中の市民たちが、軍政の悪夢が再現されないように平和を祈るたいせつな日だともいう。
そんな寄港日を前に、グラシエラさんが、自らの経験に基づいて、クーデターに至るまでの経緯と、その後のアルゼンチン国内の様子をお話ししてくれた。
「1976年3月24日に軍事クーデターは勃発しました。その後の軍政に反する活動を続けた人や、その親族などあわせて3万人の人々が消息不明となりました。国籍、性別、年齢問わずに人々は連行されましたが、多くの場合、自国の将来を愁い活動した20〜25歳までの学生が犠牲となりました。
私の夫もしかり。ブエノスアイレスで大学に通っていた彼と私は、当時、学生運動のリーダー的役割を担っていました。そして1976年11月7日、生まれたばかりの娘を連れた日曜日の散歩の途中、彼だけが1人別行動をとったその時以来、現在に至るまで彼は戻っては来ていません。
ある時、裁判官が尋ねたのです『いつまで探し続けるのか?』と。私はこう答えました、『ずっと探し続けるつもりです。もし足が動かなくなれば杖をついてでも。そして、真実と正義を求める行動をいつまでも続けて行くつもりです。』と。多くの国々、そして多くの人々の協力により続いている私たちの活動ですが、家族の多くは必ずしも遺体が見つかるとは思っていません。けれども、こうした活動を続けて行くことにより、この残虐な歴史を後世に伝えてゆくことになるのです。再びこのような過ちを犯してはならないのですから。」
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手話教室〜「花」を歌おう〜/古今亭菊千代(落語家)
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「私の円菊師匠が日本で初めて手話落語というものを始めたんです。13人の弟子のうち誰も継がなくて…。師匠に『おまえはやらないのか?』なんて言われるものですから、まあ渋々始めたのがきっかけ。それでも、手話のおもしろさにひかれて約10年になります。始めてからは、本来の落語の方でも表情が豊かになったって言われるようになりました。」
菊千代さんに教えていただいている手話歌は、喜納昌吉さんの「花」がお題。
「手話は言葉。ただ前を向いて手を動かすだけでは、相手に伝わりません。1つ1つの動きをはっきり、そして表情や目線がとっても大事。例えば『川』は流れていく方向に目線を向け、『花を相手に指し出す』は目線を花から相手の顔に移し、相手に語りかけるように表現しましょう。」
歌詞を見ながら、そして菊千代さんの手話を見て、まだまだ悪戦苦闘の参加者たち。歌を通して楽しみながら手話を覚えると同時に、相手に思いを伝えることの難しさも学んだようです。
(真家)
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