ウォルビスベイ[ナミビア]
こんな国
・国名
 ナミビア共和国 Republic of Namibia
・ことば
 公用語は英語。そのほか、アフリカーンス、ドイツ語など。ヒンバ、ヘレロなどの先住民族は固有の言語を話す。
・歴史
 1884年、ドイツが「南西アフリカ」として保護領に編入。ドイツ時代から、すでにのちに南アフリカで見られるようなアパルトヘイト(人種隔離政策)が成立していたことがよく指摘される。第一次世界大戦後、南アフリカの委任統治領に。さらに第二次世界大戦を経て、1949年、南アはナミビアを強制併合した。しかし、国際社会による非難、SWAPO(南西アフリカ人民機構)の活動を受け、1990年に南ア軍の完全撤退とナミビア独立が実現した。今回入港するウォルビスベイに関しては、1994年まで南ア統治下にあった。

ナミブ沙漠とスワコプムンド
ナミビアの海岸沿いに広がるのは、その美しさもさることながら、世界にも類を見ない特異な生態系を持つナミブ砂漠。なかでも「ウェルウィッツィア」と呼ばれる植物の中には、なんと樹齢2000年以上のものが存在するという。
砂漠を車でひた走る私たちの前方に現れたのは「蜃気楼」、そして海辺のラグーンに暮らすたくさんのフラミンゴ。100メートル近い高さの砂丘を一気に駆け上ったりもしながら『生きている砂漠』と呼ばれるそのゆえんを実体験。ドイツ植民地時代の影響を色濃く残す街「スワコプムンド」では特産の地ビールを味わいつつ、ゆったり、じっくりナミビアを堪能した。

ナミブ沙漠でキャンプ
「砂漠でキャンプ」そんな物語になりそうなシチュエーションを実現してくれたのがこのコース。「生きている砂漠」「命の砂漠」と呼ばれるナミブ砂漠で、岩山を駆け上り、砂丘で転げ回り、思いっきり笑って全身で地球に体当たり。そのあまりにおっきな大地の包容力に飲み込まれてしまいそう、そんな感覚を味わった2日間でした。

砂丘でバーベキュー
満天の星空の下、砂丘とは名ばかりの広大な砂漠の真ん中でバーベキューをしようというコースがこれ。当日は残念ながら雲が多く星は見えませんでしたが、360°見渡す限りの砂漠に落ちてゆく夕日はとても美しく、本格的な炭火で焼いたお肉と、飲み放題のお酒でみんな上機嫌。短いながら、お腹いっぱい大満足のコースとなりました。
(竹端)

ウォルビスベイ・クルーズ
天然の良港としても知られるウォルビスベイを、10人ずつの小船に乗り込んでクルージング。ルーシ号の横を通り抜け、海へ出たところで出会ったのは、クリクリお目めのかわいいアザラシ。船のデッキにまで乗ってきたその姿、つるつるに見えるけど実は毛がいっぱい。
そしてお待ちかねは、シャンパンと一緒に味わう特産の生牡蠣。地元ではレモンやタバスコというのが一般的らしいですが、そこはやはり日本人、わざわざ持ち寄った「もみじおろし」や「ネギポン酢」でその味を堪能する姿も。
港に戻ったあとは、広大な砂の風景が広がる砂丘へも。「ナミビア」を目で、そして舌で満喫した一日でした。

ナミブ沙漠遊覧飛行
世界最古とも言われるナミブ砂漠の「自然の造形美」を、空から眺めることが出来たのはこのコースだけ。5人乗りセスナに乗り込んでじっくり眺めたのは、高さ300メートルにもなる砂丘がいくつも連なる「デューン47」や大渓谷の「グイゼブキャニオン」、そしてキラキラ光って見えた「ダイヤモンドマウンテン」などなど。途中、3年ぶりと聞かされた雨に遭遇。その後現れた「虹」の姿にみんなウットリ。じつは、その揺れにちょっぴり酔ったりもしましたけど、あっという間に感じられた2時間半の遊覧飛行でした。

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