ラウトカ[フィジー]
こんな国
・国名
 フィジー共和国 Republic of Fiji
・ことば
 フィジー系住民はフィジー語、インド系住民はヒンディー語、共通語として英語。
・歴史
 紀元前に、東南アジアからやってきた人々が定住を開始。18世紀からヨーロッパ人との接触がはじまり、19世紀末にイギリスの植民地となる。イギリスはサトウキビのプランテーションを開拓し、その労働力として、当時やはりイギリス支配下にあったインドから多数の労働者を移住させた。多数のインド人が、契約が切れたあともフィジーに残ることを選び、持ち前の勤勉さで経済力を高めていったが、いっぽうで政治や土地所有などの問題に関しては、彼らの権利は制限されたままだった。
 1987年、多数のインド人を含む内閣の成立に反発するフィジー系軍人がクーデターを強行。フィジー系住民の優遇を謳う軍事政権を成立させるが、90年に「民族平等」を掲げる憲法が成立したことで、いちおうの決着をみた。しかし、2000年にはふたたびフィジー系の武装集団がインド系首相を人質にとって立てこもり、首都スバでインド系住民の焦点などが襲われるという事件が起きた。

バナバ島からきた人たちと交流
フィジー共和国の北端に位置する島、ランビ島。遙か1000km北に位置するバナバ島(現キリバス共和国領)を故郷とする、バナバ人のコミュニティーがそこに存在する。はるか南の土地に、なぜ大勢のバナバ人たちが暮らしているのか?
1900年、イギリスの会社が島内でリン鉱石を発見、その利権に目を付ける。そしてイギリスによる採掘と土地の買い上げが始まり、島は破壊つくされてしまった。以来彼らは故郷を遠く離たれたまま、60年近くを生きてきたのだ。そんな、「南太平洋の忘れられた人々」と呼ばれる彼らの話を聞き、互いの文化交流をおこなった。

フィジーの原風景に出会う
美しい海と豊かな自然で知られ、日本からも多くの観光客が訪れる南国の島フィジー。そこで私たちが訪れたのは、昔ながらの村でした。椰子の葉葺きの家々、そして大きな椰子の木の陰で休む村人の姿はそれこそ観光用に作られたのでは?と思ってしまうほどに、のどかで美しい。フィジーの原風景ともいえるこの村で、昔ながらのフィジーの人々の文化を体験出来た一日でした。

ジャングルクルーズでナムアムア村
スバ市内から車で約1時間半、到着したのはナブア川の桟橋。ここから舟に乗り、人口200人、フィジーの伝統的な生活を続ける「ナムアムア村」へ向かおうというのだ。10人も乗ればいっぱいになってしまう、まさしく小舟に乗り込みいざ出発。茶色く濁った川を、ときおり遠目に滝の姿を見ながら上ってゆく。中には全身びしょ濡れになってしまった人もいたけれど、もちろん無事到着。
村では「ロボ料理」、「メケ」と呼ばれる踊り、「カバの儀式」などフィジーの伝統文化を体験。村に暮らす人たちの温かい歓迎に、大満足の1日となりました。

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