ガザからの緊急報告(2009.01.09)

 以下に掲載するのは、ピースボートの友人で、ガザ地区に住むザヘル・スバイさんからの現地報告です。ザヘルさんと話したのは、シンポジウムの前日、2009年1月9日。ガザ地区の様子や、ザヘルさんご自身の近況などを伺いました。
ザヘル・スバイさんザヘル・スバイさん(35歳)
 3人の子どもの父(一番下の子どもが2008年末に誕生したばかり)。人道活動家。国際的な連帯運動を行う。ピースボートとの出会いは90年代後半、以来連絡を取り合いながら、ガザ医療支援の受け入れなどを行っている。
 ガザ地区の難民キャンプに住んでいたが、今回のイスラエル軍の攻撃で自宅を破壊され、現在は難民キャンプ内の祖母の家に身を寄せている。物資が窮乏し、子ども達のミルクにも事欠く状況下に暮らしている。
(※写真右がザヘルさん、左は長女のサナアちゃん。「サナア」はアラビア語で「光」の意味)
――現在のガザ地区のジャバリアキャンプにいるパレスチナの人々の様子を教えてください。
 ガザ地区の中でも、私が住んでいるジャバリア難民キャンプは人口密度が最も高い地域です。空爆のため、大半の土地や電気、ガス、水道、道路などのインフラが破壊されてしまいました。今も多くの罪のない市民が殺され続けています。おおよそ800人(1月9日現在)のパレスチナ人が殺されてしまいました。犠牲者の多くは子供と女性です。ガザはたいへん危険で、窮地に追い込まれている状況です。
――あなたの家はどうなりましたか?
 私の家も例外ではなく、このキャンプがハマスの活動地域として知られる場所であったため、標的にされて、地域一帯が爆撃されて破壊されてしまいました。避難して親の家に住んでいましたが、しかしその家もまた爆撃が近くまで来たため、現在は祖母の家に住んでいます。状況は悪化するばかりです。この辺りは特にひどくて、5万人が学校などに避難しています。人々は自由に行き来することもできません。3500人以上の負傷者が出ていますが病院には薬も不足しています。状況のひどさは言い表せないほど危険で悪いです。基本的な生活に必要な小麦粉やパン、牛乳やスープ、パンパースなどすべてのものが市場から消えてしまいました。ガザ北部や農業地帯など野菜の貯蔵などすべてが破壊されてしまっています。
 祖母に訪ねたところ、彼女は今までたくさんの紛争に巻き込まれてきました。'56年の戦争、'67年、'82年、'87年のインティファーダ、'00年の第2次インティファーダなどですが、こんなひどい侵攻は初めてだと言っています。
――あなたには3人のお子さんがいますよね?どのように面倒をみていますか?
 私の家族は、爆撃を逃れるためすでに3回も引っ越しをしました。全ての商品が市場から消えてしまったので、子どものミルクを手に入れることもできません。子どもの一人がインフルエンザになってしまいましたが、攻撃のために病院にも行けず、伝統的な処方で家庭で手当をしています。この絶え間ない爆撃で、正直言って子どもたちをしっかりサポートできる自信はありません。
 誰も、このような戦争を覚悟していませんでしたし、生活に必要な物資を貯めておく時間もありませんでした。ほとんどの人々は、毎日のパンを手に入れることしか考えていません。ガザで暮らす人々で安心できている人は誰もいません。
――私たちは、パレスチナの平和のために行動を起こす準備をしています。日本に暮らす私たちにどんなサポートができるでしょうか?
 私たちが強く願っているのは、長年のパレスチナの問題を解決するために国連で採択された決議(占領のやめること、難民の帰還を認めることなどを規定)を、正しく適用してほしいということです。そして今、私たちはひどい攻撃にさらされていて、多くの市民が殺戮されています。国連は、イスラエル軍による攻撃を止めるための解決策を見い出すべきです。そして日本の皆さんや世界中の人々には、パレスチナの人々に対するこのような正気ではない侵略を止めるよう各国の政府に訴えてほしいと思います。また、イスラエル軍の爆撃により、はじめの数日間で全てのインフラが破壊されてしまったので、私たちは様々な支援を必要としています。
――日本でも多くの人々がこの状況を危惧しています。最前を尽くします。
 この危機的な状態の中で、パレスチナの人々みとっての希望は、世界中で平和のために活動する人や日本の皆さん、そしてピースボートの皆さんのサポートだけです。本当に、皆さんのサポートを必要としています。ここで起きている事は、本当に信じがたい事です。日本や東京、そして世界中の人々にこの現状をぜひ伝えてください!ありがとうございます。