PEACEBOAT PRESS CLUB


●NO.29  1月18日号
先週のピースボート
「南回り地球一周」出航式 東京・晴海港に約1000人
 1月15日(土)、「北回り地球一周クルーズ」90日間の航程を終え、客船オリビア 号が東京・晴海に帰港した。土曜日ということもあり、ターミナルは参加者の家族、 友人、過去乗船者、ボランティアスタッフ、そしてこれからピースボートに乗ろうと している人たちなど、大勢の出迎えの人びとで賑わった。帰港時の乗船者は約550 名。南太平洋など真夏の国を抜けてきた後だけに、久しぶりに味わう日本の冬に、 「寒い!」という声があちこちから上がっていた。
 そして、翌16日(日)には、同じ晴海港から、「南回り地球一周クルーズ」が出 航。前日に帰国したばかりの参加者たちも見送りに駆けつけ、例年にない賑やかな出 航となった。
 出航式には、水先案内人である朝日新聞記者の伊藤千尋さん、もと日本代表選手で サッカー解説者の金田喜稔さんのほか、ブラジル、パラグアイ、そして南アフリカな ど、ピースボートが今回のクルーズで訪れたり、援助物資を送ったりする予定の国々 の大使館からのゲストも駆けつけ、個性豊かなスピーチで旅立ちを彩ってくれた。
 式の最後には、同じく水先案内人のミュージシャン、ランキンタクシーがラップの 音楽に載せて歌う、出航する人たちへのメッセージ。港側でも船側でも祝いの樽酒が 振舞われ、盛り上がりは最高潮に。紙テープが飛び交うなか、ゆっくりとオリビア号 は岸壁を離れていった。

「地球大学」卒業式 第一期生54名
 北回り地球一周クルーズのプロジェクトのひとつとして注目されていた「ピース ボート地球大学」。クルーズの終了に伴い、「第一期生」を送り出す卒業式が船内で おこなわれた。卒業生は日本人が37名、国際奨学生が17名の合計54名。
 書物から情報を得るのでなく、実際の経験から学んでいこうというコンセプトでは じまった「地球大学」。学生たちは、船内での講座に出席するだけでなく、自分も加 わって論議を深めたり、寄港地での交流・検証ツアーに参加するなどの活動をおこ なってきた。卒業式では、ひとりひとりが卒業証書を受け取り、3カ月間の学習の感 想をコメント。「乗船前は、平和について考えてみることもなかったが、地球大学に 参加して、何か平和のための活動をやっていきたいと考えるようになった」など、そ れぞれの成果を発表した。

地球の友インターナショナル代表ナバロさん 東海村村長と会見
 地球の友インターナショナル議長、リカルド・ナバロさんが15日、東京晴海に帰港 したピースボートに乗って来日、広島と東海村を訪れた。翌16日、広島に移動し、平 和記念資料館、原爆ドームなどを見学したあと、市内の若者たちと交流をかねて昼 食、午後からは被爆者の小倉桂子さん(HIP――平和のための広島通訳者グループ代 表)と会談、被爆体験を聞いた。
 17日は茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所 を訪問。臨海事故が起きた転換試験棟を外部から視察し、所長や職員に事故の状況に ついて質問した。
 その後、東海村役場に村上達也村長を訪ね、約30分間会見。脱原発をめざして、省 エネルギーや代替エネルギーを推進するための可能性について提言をおこなった。
 18日に原子力資料情報室の高木仁三郎との会見、19日には、東京で秋葉広島市長に 面会する予定。同19日夜にエルサルバドルに向けて成田を立つ。

脱原発を求める「2000年声明」を発表
 東海村臨界事故の犠牲者、大内久さんの死に大きな衝撃を受けた来日中の「地球の友インターナショナル」代表、リカルド・ナバロさんが、ピースボート共同代表、吉岡達也らとともに、「核のない世界のための2000年声明」を作成、1月17日に東海村を訪れ、村上達也村長に手渡した。ナバロさんが脱原発をめざし、代替エネルギーの開発に力を注いでほしいと提言したところ、村上村長は「趣旨はよくわかるが、理念ばかりでなく、実行可能なプランを示すべき」と答え、「もっと具体的なアイデアをもってきたら検討したい」と協力の意を表した。

《核のない世界のための2000年声明》
 大内久さんの死は私たちにとって非常に大きな衝撃でした。
 日本では半世紀前、核兵器によって30万人以上の人々が命を失いました。これは、人類史上他に類を見ない悲劇的体験です。その日本においてありえないと言われていた臨界事故が起こり、またもや、核による犠牲者を出したのです。
 1979年のスリーマイル、1986年のチェルノブイリ、そして1999年の東海村で臨界事故が起こりました。すでに原子力安全神話は崩れ、事故は起きるものであるという事実が明らかとなってきています。さらに、原発の老朽化、業界の経済的理由から、核施設の定期検査など安全点検さえ疎かになってきており、核廃棄物に至っては安全に貯蔵できる技術さえ今のところ確立していないのが現状です。
 核関連事故は一度起きてしまうと、多くの人命に関わる大惨事となる可能性が大いにあります。それは経済システムや社会全体の破綻さえ引き起こす可能性がある巨大なダメージをもたらすものであります。
 にもかかわらず、今回、東海村では想像を絶する杜撰な管理下で事故が発生し、さらにその対応の遅れと安全対策の不備が露呈し、日本の原子力行政への決定的な不信を生み出しました。
 昨日の新潟県巻町町長選の結果を見ても明らかなように、脱原発の願いは日本の市民にとっての普遍的な願いとなりつつあります。
 私たちは、大内久さんの死を心から悼むとともに、二度と再び核による悲劇を起こさないために日本政府および東海村を含む日本の地方自治体に対する以下の要請をここに宣言します。

 1. 原子力エネルギー政策を廃止するためのシステムを構築することを要請します。原子力発電所、再処理工場等、廃棄物処理以外の新たな核施設の建設計画はただちに中止することを求めます。
 2. 原子力エネルギー技術の海外輸出停止を要請します。
 3. 貨物船その他の交通手段による核廃棄物、核燃料等の運搬停止を要請します。
 4. 現在原子力エネルギー開発に用いている予算を、脱原子力エネルギーを推進するための資金に当てることを要請します。
 5. 独立機関による今回の東海村臨界事故の実態に関する継続的な徹底調査とその結果の完全な情報公開を求めます。
 6. 原子力政策に関する情報公開を徹底した上で、一般市民、及び企業に対し脱原発、省エネルギー、代替エネルギーなどに関する情報提供及び教育の機会創出を求めます。
 7. 万一の事故に備え、政府からの迅速な通信システムの確立、強い権限を持つ安全管理機構および核施設事故専門の救援防災隊の設置、原発立地地域でのヨード剤事前配布、定期的な防災訓練の試行など、徹底的な危機管理対策を求めます。
 8. 原子力エネルギー政策を続ける限りそれが平和利用であっても核の脅威を生み出し続けます。原発によって生産されるプルトニウムは原爆の材料になり得るとともに、それら核施設が有事の際に攻撃目標になる可能性も否定できません。もちろん日本の場合には大地震による原発の大事故も十分に考えられます。このような現状を直視し、ヒロシマ・ナガサキを経験した国として、日本及び世界の他の国々に二度と核による被害がもたらされないよう、日本政府および地方自治体がNGOと協力し合って国際社会において脱原発のイニシアティブを取ることを切望します。

  2000年1月17日

地球の友インターナショナル議長  リカルド・ナバロ
地球の友ジャパン代表 手塚 昶
ピースボート共同代表 吉岡 達也  清水 義教

2000年のプレスリリース一覧へ最新のプレスリリース一覧へ