第8回「旅と平和」エッセイ大賞・大賞受賞作品
南北朝鮮を旅した私だからできること/川崎裕紀さん

私は高校2年の時に北朝鮮を訪れた。

当時は平和について考えるなどという目的意識を持っていたからではなく、ただ日本ではあまり知られていない国を自分の目で見てみたいという好奇心からであった。だが案内された観光地はほとんど「外国人観光客」 に見せびらかすために創られたものばかりで現地の人と触れ合う機会はほとんどなかった。でもその限られた滞在期間の中からも、国の事情を推測することは可能であった。3泊4日という短い旅行期間中で私が一番印象に残ったのは、軍事境界線「板門店」の観光地だ。

ソウルまで70キロ、開城市から板門店へ向かう道中で見た標識を見かけた。おそらくこの70キロは世界で一番遠いのだろうと感じた。そしてこんな看板を立てるぐらいならどうして平和的な解決をしないのだろうか。とても疑問に思った。そして「この70キロが現実になればどれだけ多くの人が幸せになれるだろうか」とぼんやりと感じた。そして軍事境界線「板門店」に到着。初めて板門店を訪れた私はとても不気味な印象を受けた。北の兵士と南の兵士が無言のまま互いを見張っている。まるで劇画のように殺伐と静寂が繰り広がる空間。同時に無駄な時間が流れているとも感じた。もしこれらの人間が穀物を作り、貧しい人民に分け与えるならどれだけの人が幸せになれるだろうか。

戦争はすべてを破壊する人類にとって一番のマイナスを与える状態だ。だが休戦状態であってもムダな労働力・資金が使われ続けている。「軍事」というものが存在する以上、そこには人間が生活で必要としないムダな資源が使われている。すべての国が戦争を放棄すれば、どれだけ人々を幸せにするモノの生産に寄与できるだろうか。漫然とではあったが平和について関心を抱いた。この時は「世界が平和になればみんなが得をするのに」といった淡い願望のようなものだった。

そして高3の時、ソウルへ観光に行った時、「板門店とDMZ」という日帰りツアーに参加して板門店を南側から見ることが出来た。1年前に来た板門店、何も変わっていない。殺伐とした静寂だけが流れていた。まるで1年前のあの日から時が止まっているかのように感じられた。この1年間、私は何をしてきただろうか。大して成長していない自分が恥ずかしくなった。そして次に訪れたのが韓国最北である都羅山駅。駅から徒歩数分、北朝鮮まで続くイムジン川に掛かる橋を見学しに行くと、無数の旗やコメントが掛かれたものが物悲しく風に揺られていた。おそらく離散家族が統一を願って北朝鮮に一番近い場所に統一を願ってお祈りのように結んで行ったのだろう。私はこれを見たとき思わず涙が出た。あと数キロで別れた家族が住む国に行けるのに。どんなに悔しくて悲しい思いをしているのだろうか。自分が韓国人たちを北朝鮮に連れて行ってあげることができたらどんなに幸せだろうか、と何度も思った。そして駅構内に行くと、離散家族の思いを踏みにじるように行くこともできない「開城」の文字。こんな駅や休戦状態の地を観光の場所にする、政府はまるで戦争を見せびらかして楽しんでいるそんな風も感じられた。行くことが出来ない駅名なんて書くべきではない、そっちの方が「戦争中」という事態の深刻さをきちんと伝えられる。きちんと問題が解決し、平和条約が結ばれてから、改めて駅名を書くべきではないか。政府に任せていては何も進展しない。

私たち民間が立ち上がらなければ何も変わらない。

そう痛感させられた。

この韓国旅行を終えて私は平和、とりわけ朝鮮半島問題に対する意識というか使命感が芽生えた。何とかして南北朝鮮の戦争状態を終わらせるために自分にできることはないだろうか。2つの国を行き来できる国民、そして朝鮮分断という戦争責任がある国民として。だが知識がなければアイディアは浮かばないし理想論に走ってしまう。まずは現実と向き合うことが大切だと思った。インターネット、本、新聞、あらゆるメディアを駆使して朝鮮に関する情報収集に走った。旅行、歴史、貿易、国際関係…幅広いジャンルで捉えることで偏らない知識を生かそうと思い、朝鮮や東アジアの国際関係に関する情報をできる限り集めた。

数か月後、ある程度情報を集めた私だったが北朝鮮に関する情報は少なく、古いものも多かった。朝鮮半島を平和にするために何か行動に移さなければならない、両方から朝鮮半島を見た私の目線から何かできないかと考えるものの、どうやって行動に移すか分からずただただメディアから得られる情報を集める日が続いた。そんなある日、北朝鮮についてインターネットで調べていた中で1つのものが目に留まった。Pyongyang Projectだ。

これは2009年にカナダ人のソーシャルベンチャーが設立したNGOで、アメリカやカナダといった欧米を中心とした視点から東アジアの平和について考える組織である。このプログラムではただの観光だけではなく現地の学生や住民、政府機関と交流する機会や主に中国や韓国の大学で東アジアの平和についてディスカッションするなど北朝鮮をベースとした平和を考える機会を提供している。これだ。直感で彼らの目標としていることが理解できた。自分が共感できる点が多かったからだ。次の夏期休暇を利用して、私は2週間のショートプログラムに参加しようと決心し、4月中に応募する予定である。夏のプログラムは「国内問題と周辺地域とのつながり」というテーマだ。実質的な国交がないのはアメリカもカナダも日本も同じ。遠く離れたカナダ人やアメリカ人でさえ東アジアの平和を模索しようと動き出している。しかし日本ではこのような活動は残念ながらあまり活発ではない。ならば自分がやるしかない。自分の使命が明確になった。

Pyongyang Projectに掛ける思いは大きく3つ、そしてプロジェクトに参加した後に行動したいことは2つある。中国、北朝鮮という旧東側諸国からの見方で東アジアの平和を考え、日本とは異なる価値観やモノの見方を体験すること。通常の観光では訪れることが難しい北朝鮮の街に行き、現地の機関や人々と触れ合うことで素の北朝鮮にできるだけ近いものを感じること。そしてそれらから学んだことを日本で広め、より多くの人に関心を持ってもらうためにどのような形で表現すればよいのか、を模索すること。そしてこのプログラムに参加した後にしたいことが2つある。1つはPyongyang Projectのメンバーに協力してもらい、「Pyongyang Project Japan」を設立するための支援を要請したいと考えている。

そしてもう一つ、私の本拠地である名古屋において「北朝鮮フェスタ」といったより「南北朝鮮問題と東アジア平和共存」について社会に広めるためのプロモーション活動を実施することだ。名古屋という地は2000年代前半まで高麗航空がチャーター便として就航した稀な都市の1つである。「名古屋から北朝鮮との交流を再開し、東アジアの平和を原点の都市にしようではないか」というコンセプトで活動していくつもりである。

なぜ日本で「北朝鮮フェスタ」を開催することに意義があるのだろうか。遠く離れたカナダやアメリカでさえ北朝鮮問題を真摯に捉え、東アジアの平和を模索する団体があるにもかかわらず日本では皆無である。まずこの現状を変えなければならない。アメリカやカナダでも北朝鮮との国交は事実上断絶している。この状況は日本と変わらない。でもその中でも彼らは諦めずに東アジアの平和を守るために頑張っている。現在、国交だけでなく貿易がほぼ停止している上に、拉致問題といった日本独自の問題も抱えているため、あまり大掛かりで派手な形式で実現することは難しいかもしれない。だが例え小規模であっても写真の展示、歴史の紹介、お土産の紹介、観光地の紹介など、できることはいくらでもある。重要なのは、あの指導者が悪い独裁国家だから、核開発ばかりする国だから、などという刷り込まれたイメージではなく、現実を知り少しでも歩み寄って考えることだ。だからこのイベントの目標は「北朝鮮」という国について知ってもらうことだ。そこから個人がどう考えるかは個人次第。

とにかく「知る機会を持つ」ということが重要だと思う。南北朝鮮問題、東アジアの平和…漫然とどこかに意識はある人も多いだろう。それを呼び起こして一人でも多くの人に関心を持ってもらいたい。そのために縁あって北からと南から、両方の朝鮮を見て平和について考える機会を持つことが出来た私の使命だと自分では感じている。

「別に朝鮮で戦争なんて起こっても私たちには関係ない」とか「日本はアメリカが守ってくれるから」などといった無責任な言葉を耳にすることもあるが、私は納得できない。南北朝鮮問題は日本の戦争責任でもある。日本が朝鮮を併合したという事実があるのだから。休戦状態を終結させ、朝鮮の平和を確立させてはじめて日本は戦争責任を果たしたといえるし、それまでは戦争責任を負っているという自覚を持たなければならない。同時に日本は唯一の被爆国だ。そして現在、東アジアは再び核の脅威にさらされている。さらに集団自衛権を認めようといった改憲の流れが国内で起こり始めている。この流れは何としてでも止めなければならない。

戦争・原爆の痛みを知る国民として私たちは今すぐに行動しなければならない。だからこそ私は敢えて北朝鮮を中心として考えるプログラムに参加することで、現状を日本で伝え広めることによって朝鮮問題の解決、そして東アジアの平和共存に一歩でも前進させるという決意である。

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