もう9月になりエリトリアでの滞在も1ヶ月を過ぎました。当初予定していた「日本エリトリア法曹会議」も、学生の逮捕などにより予定よりもかなり規模を縮小したものになってしまったり、僕自身のエリトリア法務省でのリーガルボランティア活動というものも頓挫したままになっていました。僕がエリトリアに来た目的、しばらくはそれが分からなくなるような、そんな日々を過ごしていました。しかし、先日、じっとしていてもしょうがないということで、特段の当てもなくエリトリアの法務省を訪れてみたのです。すると、意外にも先日インドの留学から帰ってきたばかりというアブラハムという若者(法務省の役人)が僕の活動のサポートをしてくれるということで、法務省での活動の兆しが見えてきました。
もともと、今年の6月、「エリトリアロースクールプロジェクト2001」のため僕らが日本に招待したゼリセナイが中心となって僕らのエリトリアでの活動についてアレンジしていてくれていたのですが、そのとき彼が声をかけていてくれた法務省でリサーチの仕事をしているムルブラハンさんを中心に、僕の活動のサポートをしてもらえることになりました。さっそく、エリトリアの現行民法及び今立法作業中の民法草案のコピーをもらい、法務省の図書館、大学の図書館に通っていくつかの必要な資料を収集することになりました。もっとも、ムルブラハンさんらの協力を得たといっても未だ法務省自体から正式に受け入れられた訳ではありません。これから僕が自分のリサーチのトピックを決め、それを文章にして法務省と交渉しなければならないのです。今はそのための下準備をしなくてはいけないのです。
当初あてにしていた学生の手伝いを期待することができない今、とにかく自分自身で手と足と頭を使わなければなりません。具体的な手伝いをしてくれるというアブラハムも日頃は法務省での仕事がありますからこちらから働きかけなければ彼のヘルプも期待できません。自分の仕事は自分で探せという当たり前のことではあるのですが、住み慣れた日本とは勝手の違うエリトリアでそれを行うのは容易ではありません。でも、自分がエリトリアに来た目的、それを再び取り戻すことができ目的に向かって活動することができる、そんな状態が今では贅沢に感じます。
エリトリアには現在、職を持たず日々を呆然と過ごしている人が数多くいます。30年に渡る独立戦争、そしてその後再び巻き起こった国境紛争、そういった国家の混乱の中、国家建築という大きな目的を持ちながらも、具体的な活動をする術を持たず時間を持て余している人は数多くいるのです。特に、国境付近に生活をしており戦争により生活基盤を奪われ難民となってしまった人達、援助物資などを頼りに生活をしてはいるが自立の方向を見出せないでいる人々、おそらくそんな人々の多くが求めることは、社会の中での自分の役割、責任といったものなのではないでしょうか。
自分という存在は他人やその他人からなる社会というものを通じてこそ確認できるものなのではないかと思います。そのためには自分と社会との接点を持っていなければなりません。そしてその接点の多くは職を通じた仕事というものを通じて顕在化するものなのではないかと思うのです。今回僕がNGO活動を行うためにエリトリアに来たその目的というものも、自分が今まで生活してきた日本そして東京を離れた社会の中で生活してみたいと思ったからです。そして、そのためには単なる旅人としてではなくなんらかの責任を持った立場でその社会に入っていかなければいけないだろうと思ったのです。単なる観光としてではなく目的をもった仕事を行うことで初めてその社会の中に自分の存在を置けるのではないかと思ったからです。
学生の逮捕以来、その予定していた仕事の全てが頓挫してしまい、また1ヶ月以上も観光するには狭すぎるこのエリトリアで、最近はその社会の中に入っていくことができず、なんとも中途半端なその状態に強いフラストレーションを感じていたのですが、これでどうにか一歩エリトリアの社会の中に足を踏み入れることができたような気がします。もっとも、まだその仕事も正式に決まったわけではありませんし、この先またどんな事件が起こるかということすら分かりません。仮にそれらがうまくいったとしても、実際、残された時間の中で一体どこまでの成果を残せるか分かりません。でも少なくとも自分自身にとっての素晴らしい経験にはなるでしょうし、またエリトリアと日本の関係にとって僕の活動がちょっとでもプラスになれば、"いいなあ"、なんて思います。
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