エリトリア日記
「エリトリア日記」Vol.4 8月27日(月)(by 大場寿人)
よくアフリカを比喩するのに“カオス”という言葉が用いられたりします。秩序のない混沌とした状態。しかし、実際エリトリアの首都アスマラに来てみるとカオスなんていったい何のことだろうってくらい落ちついた街なのです。もちろん、道は舗装されていても凸凹だったりバスには乗り切れんばかりの人がぎゅうぎゅうで乗っていたり、日本にはない粗雑感は、そりゃああります。でも客引きも殆どいなければ車はゆっくり走っているし、それほどクラクションが喧しいということもない。実に落ち着いていてなんだか拍子抜けしてしまう位のものです。でも、滞在4週目を迎え最近ようやくアフリカの“カオス”を見ることができたのです。

太田君。イタリア領時代の建物を背景に
 普通、国家というものには国家の最高法規たる憲法というものがあり国家の全ての権力はその憲法の下に制約を受けているものです。しかし、今エリトリアではその憲法というものが事実上機能していないのです。エリトリアはエチオピアから独立した後、1997年5月にエリトリア独自の新憲法を作りました。しかし、1998年から再びエチオピアとの間で国境紛争が勃発しエリトリアはたちまち緊急状態に陥ってしまったのです。こういった戦争などの国家の緊急時には、国家そのものの存続のために憲法の機能を停止することができるという国家緊急権というものがあります。エリトリアは事実上この国家緊急権というものを発動したのです。これによりエリトリアの国家権力は憲法による制約を受けることなく自由自在にその権力を用いることができるという状態になったのです。そしてこの状態は2000年12月に停戦を迎えてからもなお維持されています。つまり、今この国では政府は憲法の制約なしに市民の権利を制約することができるという状態にあるのです。

 そしてそんな状態の下、先日、ひとりの法学部の学生(以下、S氏)が逮捕されたのです。しかも彼の居場所はもとより逮捕の理由すら明らかにされていないのです。S氏が、サマーキャンペーンという学生が夏の間行わなければならない義務的奉仕活動等を公に批判したことがその理由ではないかと言われています。そして、S氏の逮捕に反発しサマーキャンペーンへの参加を拒んだ他の学生500人あまりもが再び逮捕されたのです(この中には僕らの友人たる法学部の学生の殆どが含まれています)。ちなみに、警察と異なり軍隊は市民を逮捕する権限などないのですが、今回の学生の逮捕には多くの軍隊が加わっていました。これらの学生の逮捕は全く法に従わずになされたものなのです。

 国家権力に歯止めをかけて市民の人権を守るのが法の目的であるはずなのに、なぜこんなことになるのだろうか。法っていったい何なのだろう?これに対してエリトリアのある法律家は答えてくれました。「法は人権を守るためのものだ。でもこれは国家が平和なときのはなしであって、国家の安全自体が脅かされているときには個々人の権利というものを重要視することはできないのだ。」と。つまり平和がなければいくら人権保障とかいっても仕方がない。敵の軍隊に攻め入られてしまっては自分達の求める権利なんて実現できないのだから。
 まあ、確かにその通り。それは分かる。でも、政治的な判断すなわち多数派の意見を中心に組み立てられた判断によって少数派の人権が脅かされるときに、彼らの権利を守るのが司法すなわち法律家の仕事のはずなのに、この国ではその司法が事実上機能していない。例えば、S氏の保釈裁判の前後に司法のトップともいうべき最高裁判所長官が、突然、理由もなく罷免されてしまったりするのです。こういった状況においてはいったい誰が国民の人権を守るのでしょうか。それは大統領しかいません。人権侵害の主体も大統領であればその人権を保障するのも大統領なのです。つまり国民の人権の行方は大統領の腕一本にかかっているのです。

大通りを挟んだ向こう側。ここからスラムか
 ちなみに、未だ施行はされてはいませんがエリトリア憲法にも国家緊急権の規定があります。それによると、国家緊急権が発動された状態においては、国民は正当な手続なしにその生命・自由を奪われないという「適正手続」という規定が除外されうるのです。すなわち何の手続なしに国家の手による殺人が正当化されるというのです(ちなみにこれは敵の兵士に対してではなく自国の国民に対してです)。これは全くもって恐ろしいことです。しかも、今のエリトリアはその国家緊急権自体が正当な手続によって発動されたわけではなく事実上の発動に過ぎないのです。ということは、エリトリア憲法上の国家緊急権発動状態よりもさらに権力への歯止めが効いていない状態といえるのです。これは既にカオスといえるのではないでしょうか。

 その逮捕の数日後、逮捕を免れたおよそ1700名の学生も自主的に出頭しそのまま収監されてしまいました。その出頭の前日、僕らの友達の法学部生が僕らに別れを告げにホテルまで来てくれました。逮捕を免れ家に隠れていたが、軍隊が家にやってきて出頭しなければ強制連行するぞと脅されたので、明日皆でパニッシュメントを受けに行くことにした、と言うのです。期間は1ヶ月になるかそれ以上になるか分からない、何処に連れて行かれて何をさせられるのかも分からない、と言うのです。しかし、彼らは笑顔です。なぜ、笑顔なのか。僕らはあまりの事態に唇を噛みしめ、何を言うこともできず、ただ"See you again"と言うことしかできなかったのです。
 僕らはしばらくこの事態を理解することができませんでした。友達が、明日刑罰を受けに行って来る、と笑顔で挨拶に来る事態。しかも、彼らはなんら犯罪を犯したわけではありません。ただ仲間の違法逮捕を批判し彼が釈放されるまではサマーキャンペーンに行かない、と主張していただけなのです。しかも、その彼らがうける刑罰というものも法律に基づくものではありません。その期間や内容も明らかにされていないのです。極端を言えば命すら保障されていないとも言えるのです。

人なつっこい子供たち。すっかり仲良しの太田君
 このような事態はおよそ今の日本では想像できません。日本国憲法にも国家緊急権の規定はありませんし有事に関する法律もありません。これはどういう事かというと、日本は有事の際、普段と変わらない権利が保障される…訳はないでしょう。おそらくは憲法その他の法律によらずして事実上の権利制約・人権制約が行われることになるのではないでしょうか。確かに、今の日本に生活していて緊急事態ということを想像するのは簡単なことではありませんから、有事の際の法制の必要を考えることなど困難なものであると思います。しかし、本当に平和や人権というものを最高の価値として保持しようと考えるなら、その平和が脅かされたときにいかにその平和を取り戻すか、そしていかにその状況において人権侵害を最小限のものにするか、そういったことを考えなければならないのではないでしょうか。それはもちろん9条を改正して軍隊で国を守るべきだ、と言っている訳ではありません。平和を維持するための方法は色々考えられると思います。そのための方法を具体的にそして真剣に今一度考える必要があるのではないかと思うのです。いざ緊急事態に陥ってしまってからはゆっくり考える余裕などありません。そのときは政府のトップすなわち総理大臣の一存でその方法は決められてしまうのでしょう。その場合、有事など経験したことのない人間がとっさに素晴らしい政策をとるとは考えられません。30年の独立戦争を戦い抜いてきたエリトリアのトップならまだその能力を信じることはできるにしても、その場合の日本のトップを少なくとも僕は信頼する自信はありません。

 なんだか説教臭くなってしまいました。そんな僕だって、司法試験の勉強をしているときは国家緊急権などというものを学びはしましたが実際に想像したことはありませんでしたし、真剣に国家の有事の際の法制などということを考えたことはありませんでした。そして今だってどんな法制が良いのかなんて結論は出ません。また、いくらエリトリアでこんな緊急事態を目の当たりにしたからといっても、僕はあくまで部外者に過ぎず当事者にはなれないのです。それにここエリトリアにいても、国中が混乱している訳でもなく街は相変わらず落ち着いた雰囲気でゆったりとした空気が流れています。エリトリアの場合、大学が一つしかなく学生も2000人ちょっとしかいないですから、他の国の学生運動などと比べその規模は著しく小さく、その問題意識自体が一般化はされていないようなので、僕のような外国人の場合、学生の友達などいなければその緊急事態の存在すら気付かないようなものなのです。しかし、実際、昨年の12月までエチオピアと戦争をし多くの国民がミリタリーサービスを経験しているエリトリアの人々は、戦争という緊急事態の重みを知っています。そのギャップは僕がいくらここに生活をしていても埋められるものではないでしょう。僕が外国人である限りは。

 なんだかまとまりがなくなってきました。またこれ以上書いても、今回の出来事やそれに対する僕の感じたことをまとめる自信はありません。もう少しじっくりと考えてみたいと思います。
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