エリトリア日記
「エリトリア日記」Vol.2 8月1日(水)(by 大場寿人)
エリトリア滞在2週目。徐々にエリトリアでの生活にも慣れてきて、僕等がエリトリアに来た理由のひとつである、「The 1st Eritrea-Japan Conference(日本エリトリア法曹会議)」の準備の方もどうにかこうにか一歩ずつ着実に進みつつあります。このカンファレンスは、8月下旬に予定されており、日本の法律家や法律関係者をエリトリアに送り、法律化養成制度などのテーマについて会議を行うというものです。

太鼓・手拍子に合わせて踊るティグレ族の女性
さて今回は、7月の終わりから10日間ほどアスマラで開催されている[Eritrea Festival 2001]で見てきたエリトリアの伝統的生活の様子についてお伝えしたいと思います。
そもそもこのフェスティバルは91年の独立以来エリトリアで毎年行われているもので、現地の人は"EXPO"と呼んでいます。2ナクファ(約25円)の入場料を払い中に入ると東京の表参道ばりの賑やかさ。飲食店から雑貨屋、様々な屋台が建ち並び、特設のステージでは民族衣装を着た人たちが唄を歌っていたり、またなぜか羽の折れた飛行機や同体が半分にちぎれた飛行機が置いてあったりと、その溢れんばかりの活気にいささか驚いてしまいます。

さて、屋台のひやかしも程ほどに、我々の目的であったエリトリアに住む各民族の伝統的住居と伝統芸能を見ることのでるブースへと向かいます。そもそもエリトリアには9つの民族が生活しています(全人口の約50%を占めるTigrinya、次いで約30%のTigre、Saho(約5%)、Afar(約5%)、Hedareb(約2.5%)、Belen(約2%)、Kunama(約2%)、Nara(約1.5%)、Rashaida(約0.5%))。
そのうち特に印象的だったTigrinyaの伝統的住居について書いてみます。家は土壁の木造、床は土間。おそらく古い日本の住居と似ているんだと思います。ただ、その家での生活のルールと言うのが興味深いものでした。
部屋は大きく分けて2つあります。手前と奥。このうち手前はリビング兼男性(夫)の部屋、奥が台所兼女性(妻)の部屋。両方の部屋は普段は自由に行き来ができますが、基本的には夫婦は別々の部屋で寝起きをするようです。ただ、必要のあるときは男性の方から女性の部屋に行き夜の生活をするとのことでした。あくまで男性主導のSEXライフの伝統があるようです。

ところで、男性の部屋にはベッドらしきものがふたつ設置されています。一つは普段男性が使うベッド、そしてもう一つは、なんと新婚の花嫁を閉じ込めておくためのベッドだというのです。新婚2週間は嫁はトイレのとき以外はこのベッドから出ることはできず、客が来てもカーテンで遮られ顔を見せてはいけないというのです。ただ、仲の良い友達はお金を払ってカーテンの中の花嫁の顔を見ることができるというのです。この風習は"フッツノッツ"と呼ばれ、今なお地方のみならず都市の一部でも残っているとのことでした。
この慣習についてアスマラ大学の学生に尋ねてみたところ、これはTigrinyaのhoneymoonなんだ、と言います。honeymoonとしてどこか旅行に行き二人の時間を過ごす文化もあれば、honeymoonとしてベッドの上で二人の時間を過ごす文化もある、というのです。基本的には夫も仕事には行かずずっと家にいるそうです。ただ、客人が来たりするので男性は外に出ることができるだけだということだそうです。で、結局、仕事とかの問題さえなければ彼らはそれでenjoyするんだそうです。説明してくれたSamsonも熱く語ってくれました。「それはベッドの上のhoneymoonなんだよ!!」と。もっとも、もともとの始まりは女性差別的な発想にあるようなことも聞きました。それでも現代ではこの"フッツノッツ"は特に女性から支持されているようです。理由は、客が贈り物をくれるから、だそうです。そ、そんなものなのか!? まあでも、婚前交渉が基本的には認められない(だろうと思われる)ムラ社会の中にあって、またそうそう簡単に旅行に行くこともできない環境にあっては、ベッドの上で二人きりになることが彼らのせめてものhoneymoonなんですかね。これがもっとindividualismな社会になり豊かな社会になれば自然とこういう風習も消えていくんでしょうか。
なお、これに関する太田氏談:「でも、そういう環境になってもそれでも二人だけのベッドの上のhoneymoonを求める人がいてそれを認める社会があって"フッツノッツ休暇"なんていうのを認める法律なんかあったらかっこいいよね。」

アファール族のお祝いの踊り
また、EXPOでは各民族の伝統的なお祝いの踊りというのを見ることができます。各民族、それぞれ特徴的なステップで踊りを踊りますが、そのほとんどは男性が武器を掲げてステップを踏むというものでした。そんな中、Afar族の踊りは男性も女性も楽器以外は手にせず友愛的な雰囲気の中で行われていました。この民族は平和的・友好的な民族なのかなという感じで、僕自身結構気に入っていたんです。…と、ころが、あとで本を見てみると、Afarというのは凶暴な民族らしく、その昔は、Afarはその領地で出会った部外者を殺す準備をしているといわれ恐れられていたそうです。そして今なお彼らはジレと呼ばれるナイフを持ち歩き、また中には自分の歯を削って尖らせている人もいるとのことです。全然平和的じゃないじゃないか…。

外国の支配や独立戦争を経て"ひとつの国"そして"ひとつの国民"になった彼らの中で、それぞれの伝統や文化を残しつつその"ひとつの国"たる統一性を維持することは難しいことなんだろうと思うんです。しかし、エリトリアはアフリカでも珍しく9つの異なる民族がそれぞれ協調してうまくやっている国だと聞きます。学生の話を聞いても、法律造りの中で各民族の調和・尊重ということを重要視しているということです。例えば、小学校までは各民族の言葉を用い、それ以上はどの民族の言葉でもない英語を使い教育をしたり、裁判所では各民族の言葉の通訳をつけたり、また政党に関しても一つの民族の価値観に左右されないような工夫を考えているとのことです。

この点日本は、沖縄やアイヌはもちろんのことそれ以外の地方の言葉や文化を軽視しそれらを統一することで"ひとつの国家"を造り上げてきました。確かに最近は地方の伝統芸能だとかを保護しようというながれではありますが、それ以前に失ってしまったものは計り知れないのではないかとも思います。ただもちろんその"ひとつの国家"造りに成功したために得たメリットというものも大きいのでしょう。そんなことを思いつつ、民族共存の可能性を探るエリトリアの国造り、興味深く見てみたいと思います。
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