Bコース 米軍基地の今昔とこれから
-読谷村・金武町コース-


ルート58
大学で沖縄について勉強している私にとって、Bコースに参加したことは本当に良い勉強になりました。「良い経験」なんて一般的な言葉ではもったいないくらいな、例えば、すごくおいしい食べ物を食べた時(沖縄料理はおいしかった!!)や映画を見て感動した時の様な「出会い」があったんです。
私自身、確かに沖縄には興味があったものの、ここまでハマルとは思いもしませんでした。私は「沖縄病」(沖縄にハマルこと。筑紫さんがとまりんで講演したときに言った言葉)にかかったわけです。 旅へ行くといつも思うのは「百聞一見にしかず」で、むしろこれを感じに旅へ出ているのかもしれないけれど、もちろん今回も例外ではありませんでした。どんなに文献を読んでも、どんなに資料を集めてもやっぱり抜け落ちる部分があるんです。


島から飛び立つヘリ
盲点だったのは、基地による環境破壊でした。金武町吉田町長のレクチャーを聞いて、基地による環境破壊の深刻さを知りました。実弾演習によって恩納岳は山肌をむき出しにし、基地建設による海岸線の変化で赤土が流出し、土地整備もままなりません。海も汚れて、沖縄らしい景観も失われつつあります。その実態を本土のマスコミがどれだけ伝えているでしょうか? 
私は沖縄に行く前、基地問題といえば、沖縄住民の生活の被害に焦点を当てていました。海兵隊による犯罪、事故、騒音。そして経済問題。基地があることのデメリット、基地が無くなったときのデメリットに着目し、ある意味、人間の自分勝手な見解に浸っていたわけです。沖縄県民の被害、けれどそれはそこのみにとどまらず、沖縄の自然被害になるのです。
そう気づいた時、向かう相手は本土政府でもなく、米国政府でもなく、軍備というとんでもなく大きな敵だと知るのです。そしてそれは人間の原罪である戦争、むしろ国境の存在自体が問題となり、どうしようもない大きな壁にぶち当たってしまいます。


基地の柵にある看板
けれど、その大きな問題を前に屈することなく、明るく、知恵を絞り、問題を少しずつ解決していこうとする、したたかで且つ、たおやかなウチナンチュと出会いました。
米軍通信施設「トリィステーション」「楚部通信所(通称:象のオリ)」のある読谷村の役場へ行き、反戦語り部である小橋川清弘さんのレクチャーを聞きました。読谷村の役場は、役場と住民が一体になり基地の真ん中に建てたものです。それはこれ以上、基地を増やさせないように「共同使用」という名目を利用して、米国に認めさせたものです。その周りにも、野球場などの公共施設を建てて、どんどん基地に進出しています。


川に渡された金網
こうやって、小さなすきまに入り込んで、いつのまにか主導権を握っていく。賢いやり方だなぁ、と感心しました。それは、虐げられたものの知恵かもしれません。基地問題は「知恵比べと忍耐が必要」と言った言葉に、私たちは学ぶものがあるのではないでしょうか?
明けて、基地が町の70%を占めるという金武町に行きました。金武町の場合は、読谷村よりはるかに、問題解決が困難で「基地と経済問題」そして「基地と環境破壊」を強く考えさせてくれるところです。「基地と経済問題」に関していえば、例えばこれが戦後10年、20年の話だったら、ただ基地撤去を叫んでいれば良かったでしょう。(実際は占領状態で言えなかったんだけど)けれど、50年以上が過ぎ、沖縄の地理が基地のために整備されている現状にあっては、人々の生活収入の問題抜きには語ることが出来ないのです。町の財源の4分の1が基地による収入、国から地主への土地使用料の支払い、基地があるために、産業の形成もできない。前途多難にもかかわらず、吉田町長は本当に分かりやすく、明るく基地に関して語ってくれます。

一番好感が持てたのは、海兵隊への講演の話です。海兵隊に対して「なんでわざわざ遠いところまで、働きに来ているのに、もっと給料を上げろと言わないんだ」と笑い共感を誘うのです。また、名詞にブルービーチの写真を入れて、アメリカを訪問した時に渡します。アメリカ人は‘Oh!beautiful'と感心します。そこを突いて、「こんなきれいな海を、海兵隊が占領しているんだよ」と言うのです。まず、歩み寄り、共感を得る。そして具体的な提案をする。外交の基本的姿勢じゃないでしょうか?
吉田町長は「ていげい」(ウチナー語で「いい加減・おおざっぱ」という意味)という言葉がピッタリな人で、基地の実態を私たちに見せようと、ホントはハイッチャイケナイ基地にも観光バスごと入れてしまいます。「天皇も総理大臣も入れないけれど、私は入れるんだよ」と笑う町長。いいですよね? 私はすっかりファンになってしまいました。

Bコースは、基地をメインに回ったのですが、ただ基地を見て勉強という色だけでは面白さに欠けていたと思います。(修学旅行みたいじゃん、そんなの)けれど、そこで取り組む人の話を聞いて、また話してくれた人のウマさも助けて、参加した人のほとんどが基地問題の実情を知り、その痛みを共感したんじゃないでしょうか。ホテルで同じ部屋になった、初めて沖縄にきたその人も、「リゾートや、観光から入らなくて良かった。楽しかった」と言ってくれました。

本土の基地問題に対する無関心というのは、身近に感じないという、共感性の欠如があると思います。私の感想を読んで、少しでも沖縄や基地に興味が持つ人が出たら、幸いです。

「あるものを無くす」それは基地に限ったことではない、難しい問題だけれど少しずつ出来るところからアプローチしていくしかないんだと思います。個人の力を超え、発展して行くには、やはりネットワークが必要だと、改めて気づかされました。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じ、自分の心が揺れました。すっかりおなかいっぱいになった私は、消化しようと頑張っています。
(丹羽 亜希子)


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