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□ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?□ |
水先案内人・アレン・ネルソンさんは、かつてアメリカ兵として従軍し、ベトナム戦争に従事した平和活動家。そんなネルソンさんの第1回目となる講座、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』からレポート。
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「私が入隊した海兵隊では、疑問を持つ事や考える事は許されず、教えられたのは口を閉じる事、そして人殺しの方法(武器の扱い方や、手榴弾の投げ方、肉弾戦のやり方など…)だった」──と、いわゆる"平和維持軍"とも考えられている海兵隊の現実について語り始めた。
さらに、「腹部に打ち込まれた銃弾に、何時間も苦しんで死んでいった1819人の友人のこと」や、「たとえ卑怯であっても、どんな方法を使ってでも人を殺さなければならない戦場の現実」、「攻撃後の村に漂う涙が出るほど強烈な死体の腐臭」──そんな体験のひとつひとつを、丁寧に語ってくれた。
会場には約500人の聴衆が集まり、TVや映画ではない、現場を体験した本人から語られる『戦場の事実』に聴き入っていた。 |
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□サハリン残留朝鮮人が語る"60年目"の今□ |
今年は「戦後60周年」──船内ではこれに関連した企画も多い。今回は、水先案内人として乗船されているロシア・サハリン州の残留朝鮮人、スン・チョンモさんと、キム・メイジャさんによる講座、『サハリン残留朝鮮人が語る"60年目"の今』が開催された。
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第二次大戦時、日本軍は宗谷海峡から43キロほど離れた、現ロシア領・サハリン州に約7万人の朝鮮人を強制連行した。敗戦後、サハリンの日本人は優先的に本国に帰されたが、スンさん、メイジャさんを含む約2万9600人の朝鮮の人々は、戦後60年経つ現在まで、故郷へ帰る目処も立たず取り残されてきたのが現実だ。
戦時中の"創氏改名"およびサハリン残留によって、韓国語・日本語・ロシア語3つの名前を背負って生きてこなければならなかったこと、戦後のサハリンでの生活、ロシアの厳しい年金生活の話──残留朝鮮人が抱える、未だ解決されない戦争の傷跡と、現在も残されている2万9600人を日本政府は一体どうするつもりなのか、という疑問を、スンさん、メイジャさんは、まるで子や孫に聞かせるかのように終始穏やかに話してくれる。
私たちの「何かできることはありますか?」という問いに、おふたりは「私達が望んでいることを理解し、この現実をみなさんの家族や友達、一人でも多くの人に伝えてもらえたら、それが一番ありがたいです」と返答。サハリン残留朝鮮人"60年目"の今を知る、貴重な講座となった。 |
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