|
□歌もダンスもサッカーも――「パレスチナ難民キャンプ」で大交流!!□ |
5月8日、ピースボートはアンマン市郊外にあるハッティン難民キャンプを訪問!!
ここは1967年、第3次中東戦争の際にパレスチナから逃れてきた人々によってできた、ヨルダンで2番目に大きな難民キャンプだ。ピースボートはこのキャンプを訪問、そこで待っていたのは、とにかくたくさんの人、ヒト、ひと──あっという間に過ぎていった「怒涛の2日間」をレポート!!
|
|
難民キャンプの全景。「キャンプ」とはいっても、そこに広がっているのは「テント」ではなくコンクリート造りの家々だ。ここに住む人の数は、およそ6万とも10万ともいわれている。
モスクや学校、病院や郵便局などの「インフラ」も揃っているが、あくまで彼らのふるさとは「パレスチナ」。ガイドさんは、「『街』の機能が充実すればするほど、パレスチナが遠くなる」とつぶやいた。 |
|
キャンプ内にある小学校を見学。ここはUNRWA(国連難民救済事業機関)によって建てられた女の子のための学校で、コンピュータールームなどもある。
子ども達は見慣れぬ「外国人」の訪問にちょっと緊張気味ながらも、カメラを向けるとにっこりとほほえんでくれた。 |
|
病院、生活保護センターなどを訪問したが、途中、道を歩いているだけで、この人だかり!!「Hello!」「What's your name?」と知っている限りの英語で話しかけてくるほか、手や紙を差し出して「サインして!!」なんて子も。まるで「大スター」がやってきたかのような大騒ぎに。嬉しいやら驚くやら…で参加者はみんなタジタジ――この子たちのほとんどは、キャンプ生まれの「難民2世・3世」たちだ。 |
|
キャンプ内の幼稚園の講堂にて、いよいよ交流会がスタート!!ピースボート側、キャンプ側の代表者の挨拶の後は、各寄港地でサッカー交流をおこなっているピースボート内のプロジェクト「ピースボール」から、サッカーボールを交流旗をプレゼント。このサッカーボールは、ピースボールが日本国内の小学校やサッカーチームから集めてきた、メッセージつきのボールだ。 |
|
続いては文化交流。ピースボートからは、船内でこの日のために練習した手話や空手、和太鼓などが披露された。
写真は手話をまじえて歌った、喜納昌吉の「花」。日本語も、日本語の手話もわからないはずなのに、子どもたちは真剣に耳をかたむけてくれた。
|
SEA NAVI 6月18日号へ | 45回クルーズレポートトップへ |