reporter's eye
バックナンバーVol.5
[オーバーランドツアー]
 明日はケニア・モンバサ。たくさんの人がサファリを訪れるオプショナルツアーに参加する中、私はタンザニアを訪れる「オーバーランドツアー」に参加する。

 「オーバーランドツアー」とは、いちど船を下船し、次の寄港地まで陸路・空路を使ってたどり着くツアーだ。私がオーバーランドで訪れるのはタンザニアのサファリ。なんと9日間のツアーだ。
 実は、オーバーランドは私にとって初めての体験だ。クルーズ中に船を下りて次の寄港地に向かったことなんて、ない。やっぱり初めてのことだし、荷物も多くなるだろう。だったら今日1日、体力をつけるためにゆっくりしたいな…なんて思ってた――けれど、やっぱりそれは甘かった。9日間船を離れるということは、いままで溜まっていた仕事を一気にやり終えなければいけない、ということだったのだから。

 この日、私が抱えていた企画は2本。そのうちひとつは水先案内人の企画、もうひとつは自主企画だ。そのほか、ホームページの原稿を何本かとまだ書き終えてない原稿が2本ぐらい(ぐらい、というのは、何を書かなければいけないのかもよくわからなくなっているのだ)、そしてそして、いちばん肝心な荷造り。
   9日間の陸地。しかもタンザニア。しかもサファリ。これでは、現地では調達できないモノが多すぎる。薬、飴、粉末飲料、タオル、着替え、資料、そのほか諸々…。もう、これだけでパンクしそう。

 とりあえず飴とウェットティッシュ、靴下などは船内売店で急いで買った。でも、売店の店長に「これっているかな?いるよね?」と、いちいち確認している光景は、狭い売店の中でかなりジャマだったろうとは思うけど。
 たくさんの人が楽しみにしているだろうサファリは少なくとも、いまの私にとっては、ちょっとしたプレッシャーだったりする。オーバーランドって、出発前からこんなに忙しいのね。一緒に行く方々は、いまごろ何をしてるんだろう。明日に備えて寝ているか、私のように荷造りしてるか…。

 でも。泣いても笑っても、明日、トパーズ号はケニアに着いてしまう。だったら、せっかくだから楽しみたい。このぐちゃぐちゃな状態のまま旅立つ私を許してね、みんな。帰ってきたらどうにかするからさ。さあ、ツアーの資料にもういちど目を通そう。では、行ってきます。
(久野良子)
[JSG]

高層ビルが建ち並ぶケニアの首都・ナイロビ
 JSG。
 映画のタイトルではない。
 これは「ジャパニーズ・スピーキング・ガイド」のこと。寄港地で私たちを案内してくれる、しかも日本語を話せる、英語のできない私にとってすごく助かっちゃうガイドさんのことである――と、私は認識していた。今回はそんな、あるJSGとの出会いについて。

 ケニア・モンバサから、私は9日間のオーバーランドツアーに行ってきた。行き先はタンザニアのサファリ。世レンゲティ、ンゴロンゴロなどまさに「野生の王国」を駆けめぐるというワクワク・ドキドキツアーだ。セレンゲティのどこまでも続く空と地平線、ンゴロンゴロでみた動物たちの群れ、まぢかで見たシマウマやライオン、象の目の色は、いまも忘れられない。

 そんなサファリをあとにした私たちは、ケニア・ナイロビへと向かっていた。バスの中には30人あまりの参加者と、私を入れてスタッフ2名、そしてJSG・スティーブンくん。4年間、カナダで日本人向けのガイドをしていたというスティーブンくんは28歳。気さくな性格はなかなか、好感がもてた。

 そのうち、バスはナイロビ市内に入った。次々にいろんな建物が見えてくる中、彼は何故か、後ろの席にいる私ばかりに英語混じりで説明する。「みんなに日本語で説明してあげたほうが?」という私の提案に、彼は「いや、でも、ヒサノサンから説明してあげて」といってきかない。なんとかかんとか、右や左を指さしながら説明し、やっとバスはホテルに着いた。ほっ。

 その後、再びバスはナイロビ市内観光へ。車窓から見えるのは、たくさんのヨーロッパ風の石造りの建物だ。そこでもスティーブンくんは何故か、私ばかりに説明してくる。うーん、みんなに直接説明してほしいんだけどな――そう思った私は、後ろの席の人にも聞こえるように大声で、スティーブンくんに聞いてみた。「スティーブン、あの建物はなに?」すると。彼は困ってしまった。「うーん、あれはパーラメント…日本語で言うと…うーん…わかりませんねぇ」

 おいおい、わかりません、っていわれても(笑)。もちろん、英語がわからない私は急いで辞書をめくって意味を探した。彼も手伝ってくれたのだが、慣れない日英の辞書に苦戦したようで、先に見つけたのは私の方だった。そのほかにも、建造年を知らなかったり建物の名前を知らなかったり。そのたびに私は辞書やガイドブックをめくって探しまくり…そして、そのたびに助けてくれたのは運転手さんだ。「あれは市役所だよ」とかなんとか、と。ホントにありがとう、運転手さん。
 もちろん、彼にはちゃんと説明してくれなくちゃ困る。何がJSGだ、もう。だけどあの時、バスの前方には妙な一体感が漂っていたのもまた、事実だ。あのバスの中では、スティーブンと運転手さんと私がみごとなワンチームとなってナイロビの案内をしていた、気がする。

 次の日。スティーブンと私は空港でサワヤカに別れた。なんだかまるで、すべてが順調にいったみたいに。  でも、私が持ってた日本語のガイドブックを彼にプレゼントしてこればよかったかなぁ、と、いまでもちょっと思ってる。
(久野良子)

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