reporter's eye
バックナンバーVol.3
[二度めの『出航』]

『東京ギャングスター』による船上ライブ(エリック・リオンゴレン撮影)
 新年を迎えたフィリピン、マニラ。ここで、私はエリック・リオンゴレンというフォトグラファーと再会した。彼は、先のクルーズに乗船していた水先案内人。私はそのクルーズで、彼の「企画担当」だった。
 担当になると、その人のミーティングやら実際の準備やら、はっきりいうと、いろんな仕事が増える。それと同時に、彼らと一緒に企画をつくりあげていくのはやっぱり楽しいし面白いし、そして彼らと誰より仲良くなれる(かもしれない)チャンスでもある。
 エリックは、フィリピンの人だ。だけど私は、そんなことなどすっかり忘れていた――彼が、「ヒサノサーン!」と言いながら、こちらに走ってくるまでは。彼はこういった。「ヨカッタネー、次は一周できるんだね」。

 モヒカン頭にサングラス。底抜けに明るいエリックは、前のクルーズでも本当に人気者だった。彼と私はトルコのイスタンブールで同時に下船し、それぞれの場所へ帰ったのだけれど、エリックはみんなから投げられた別れの紙テープまみれになりながら、それでもバシバシ写真を撮っていた。
 そして今回もやっぱり、彼はめちゃくちゃ明るい、いい人だった。マニラで開いたニューイヤーイベントでも、まるまるとした体で敏捷に動きながら、やっぱりバシバシ写真を撮っていた。

 そして、マニラ出港時。「エリックがアナタを探してたよ」といわれた時にはすでに遅く、船は港を離れてしまっている。だけどその人は、携帯電話で岸壁にいるエリックにつないでくれたのだった。
 電話は何度かかけて、やっとつながった。彼はまた、何度もこういってくれた。「ヒサノサン、ヨカッタネー、ガンバッテネー」。どうして、そんなに応援してくれていたんだろう。もしかしたら私が思ってた以上に、私と彼は「仲良く」なれたのかもしれない。なんだか、じん、とした。

 今夜、シンガポールでも何名かが下船し、それぞれの場所へ帰っていった。彼らとの別れを惜しんで、船からはたくさんの紙テープが投げられた。「元気でね」「また会おうね」と声をかけあう姿を眺めていると、私はそのときのことを思い出す。
 「船出」は、なにも、日本だけの出来事とは限らない。マニラが私にとって"二度めの出航"だったように、それと同じように、今夜デッキにいたみんなにとっても、シンガポールは新しい船出を迎えた大切な港になるんじゃないだろうか。そんな気がする。
(久野良子)
[いちばん面白いとき]
 今日のタイムテーブル。
 ブロードウェイラウンジでは、日韓の「ヒバクシャ」からの証言を聞く講座がおこなわれ、同時に屋上では「洋上成人式」がひらかれていた。また、シアターでは、水先案内人のアーティストたちによるワークショップがおこなわれていた。

 7階を歩いているだけで、洋上結婚式の準備をガヤガヤとしてたり、一方ではHIVをテーマにした講座を開いていたり、また別のスペースでは、もうすぐ寄港するインド・ムンバイを前に、WSFチームがアツーいミーティングを開いているのに出くわしたりする。

 さらに。シンガポールからは新しく、十数名の非核・反核活動家が乗船された。彼らを中心に「非核平和チーム」も結成された。そして別のスペースでは、同じ水先案内人として乗船されたケニア出身のミュージシャンが迫力あるライブを繰り広げていた。

 正直にいうと、こうもいろんなモノが乱立するというのは、すっごくタイヘンだ。明日・明後日の企画をブッキングして、あとはのほほん、としてなんていられない。ひとつの企画、ひとつの出来事をめぐって、スタッフ同士がすごい議論になることもある。お互いに自信も思い入れもあるから、一歩も譲らなかったりする。さらに、ぎっちり詰まった企画の合間には、これまたいくつもの、参加者自身が企画する「自主企画」も、どんどんどんどん入ってくる。

   それぞれ、普段やってることも、ピースボートに乗ってきた目的も企画の内容も、全然違う人たち。そんな人たちがごっちゃになって、いま、船はインドに向かっている――世界中から市民たちが集まってくる、「世界社会フォーラム」へ。

   スタッフの琴玲夏が、今朝、こんなことをつぶやいていた(彼女は水先案内人の担当をしている)。  
 「こんな状況、あり得ない。だけど同時に、すっごく面白い状況だと思うわけ。もしかしたらいまは、44回クルーズの中でいちばん混乱してて、そしていちばん面白い区間なんじゃない?」。
(久野良子)

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