第43回ピースボート地球一周クルーズ寄港地インフォメーション
ドブロブニク
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国名
クロアチア共和国 (Republic of Croatia)

ことば
クロアチア語
・解説
image 最初の「クロアチア王国」の成立は924年。ハンガリーやオーストリアの支配下におかれたあと、1918年に「セルビア人クロアチア人スロベニア人王国(のちのユーゴスラビア王国)」として独立した。第二次世界大戦中は、ドイツやイタリアの分割統治下に入り、ナチスの後押しを受けて民族主義が台頭する。そのなかで、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)が、全民族の平等と協力による統合を訴えて民意を獲得。戦後、チトーを大統領とする「ユーゴスラビア連邦人民共和国」が成立した。
 しかし、内部に6つの共和国を抱える「多民族国家」は、チトーの死をきっかけに崩壊。91年、スロベニア、クロアチアが旧ユーゴからの独立を宣言したのを皮切りに、あちこちで民族紛争が泥沼化する。クロアチアでも、人口の2割近くを占めていたセルビア系住民との間で何度もの戦いが続いた。ドブロブニクは、内戦前は「アドリア海の真珠」と呼ばれた観光地で、中世の雰囲気をそのまま残す旧市街は、世界遺産に指定されている。

[寄港地担当者より]
 守護神聖ブラホが見下ろす門をくぐれば、まるで中世に迷い込んだよう。一面の石畳、オレンジ色の瓦屋根、透き通る海、おいしいお酒と海の幸。ドブロブニクの魅力は、とひつとひつあげればきりがないほど。
 1991年まで続いたクロアチア戦争では、この美しい町も海と山の両側から挟まれるようにしてセルビア軍の攻撃を受け、ずたずたに破壊されました。この街がクロアチア共和国にとっての「富の象徴」であったからこそ、セルビア軍はあえて攻撃したといいます。
 心に深い傷を負いながらも、戦後は養蚕業や伝統工芸を復興させるなど、強く生きてきたクロアチアの人たち。街の美しさを楽しみながらも、そんな「強さ」を感じ取ってもらえたら、と願っています。
(渡辺久実)

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