[「ニューヨーク」の誕生]
現在のマンハッタンへのヨーロッパ人の進出が始まったのは17世紀。オランダの東インド会社に雇われた英国人ハドソンがニューヨーク湾へ到達したのが始まりだった。オランダはこの地を「ニューアムステルダム」と呼んで植民を開始、毛皮交易や奴隷貿易の拠点をおいた。1626年には、わずか24ドル相当の品物で先住民族との間でマンハッタン島を「買い取った」とされているが、実際には、「契約」概念の異なる先住民族の人々を「騙した」形だったともいう。
1664年になると、英国がオランダよりも早く植民を開始していたことを根拠として、北米の大西洋岸地域の領有権を主張。軍事力で圧倒的に劣っていたオランダはあっけなくこの地を英国に明け渡す。英国王がそれをヨーク公に与えたことから、この地は「ニューヨーク」の名で呼ばれることになった。
[独立戦争]
18世紀半ば、フランスとの植民地戦争などによって経済疲弊状態にあった英国は、植民地である米国への重税を課した。これに対する不満の高まりが、独立を求める声へとつながっていく。1773年には、英国の貨物船に積まれていた茶葉を、独立急進派が海へと投げ捨てるという「ボストン茶会事件」が発生。さらに2年後、ついに独立戦争が始まった。
ニューヨークは当初、独立反対派の拠点となった。しかし、10年近くにもわたる長い戦争の末、83年には米国の独立が承認される。88年に制定された憲法では、ニューヨークはアメリカ合衆国最初の「首都」となった(1790年まで)。
[冷たい戦争]
第二次世界大戦終結後、それまで連合国側で協力関係にあったふたつの大国、米国とソ連は、戦後処理などをめぐって徐々に対立するようになっていった。その対立はのちに、米国を中心とする自由主義陣営(=西側)と、ソ連を中心とする社会主義陣営(=東側)に二分された世界、という構図につながっていく。
実際の戦争には至らないままで対立が続くその状況は「冷たい戦争」と呼ばれたが、軍拡競争はとどまることなく続いた。さらに、朝鮮戦争やベトナム戦争など、その「代理戦争」ともいうべき戦争もあちこちで起こった。
しかし、1980年代後半になると、東欧諸国で民主化の波が巻き起こり、社会主義政権が次々に崩壊。1989年には、東西を隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、米ソ首脳が「冷戦終結宣言」を行った。さらに翌年にはソ連も解体。米国が「唯一の超大国」として残されることになった。
[湾岸戦争]
1990年8月、イラク軍がクウェートに侵攻し、クウェートの自国への「統合」を宣言。これに対し、米軍を中心とする28カ国からなる多国籍軍が、翌年イラクへの空爆を開始し、湾岸戦争に突入した。日本も、米国の要求により多国籍軍に多大な資金援助を行った。
多国籍軍は圧倒的な軍事力でイラク軍をやぶり、開戦から6週間で、イラクのフセイン大統領はクウェートからの撤退を宣言。しかし、この戦争によってイラクでは民間人も多くが犠牲になり、世界的な非難の声も起こった。また、米軍が使用した劣化ウラン弾は、現在に至るまでイラクの人々の間に、ガンの多発などの被害を残している。
[テロとの戦い]
2001年9月、ニューヨークの世界貿易センタービルに、2機の飛行機が突っ込むという同時多発テロ事件が発生。ブッシュ米大統領は、この事件の首謀者とされたオサマ・ビンラディンを支援しているとして、アフガニスタンへの攻撃を開始し、「テロとの戦い」を訴えた。
さらに翌年、ブッシュ大統領は「テロを支援している悪の枢軸国」として、イラク、イラン、北朝鮮を名指しで非難。「大量破壊兵器を所持している」としてイラクへの批判を強めた。2003年3月には、世界的な反戦の声が巻き起こる中、英国とともにイラクへの攻撃を開始、首都バグダッドを陥落させる。 |