▼辺野古の海を守る人たちと交流▼
 日本にある米軍基地の、75パーセントを抱えている沖縄。日米政府間合意によって、米軍普天間基地の縮小・移転が決まったのは1996年のことだ。しかし人びとのよろこびもつかのま、新たな米軍基地の建設計画が進んでいる。
 このツアーでは、米軍の海上ヘリポートが造られようとしている辺野古を訪問。「ジュゴン」が住むといわれる美しい海を見て、その反対運動に取り組んでいる人たちの話を聞いた。同じ「日本」にいながらなかなか伝えられない事実を知るとともに、どこまでもあったかい彼らの人柄に胸があつくなる1日だった。
 バスから見えたのは、木の生えていない「禿げ山」。これは自然現象ではなく、米軍の射撃演習場になっているせいだそうだ。同行してくださった水先案内人・真喜志好一さんによると、なかにはたくさんの弾を撃ち込まれた結果、不発弾だらけで、もう二度と足を踏み入れられなくなってしまった山もあるという。
 辺野古の浜のちかく、「じゅごんの森」と呼ばれる山からは、ジュゴンが住むといわれる美しい海が一望できる。小雨にもかかわらず、浅瀬の色は透き通るようなコバルトブルーだった。ここまで案内してくださった東恩納琢磨さんによると、ここは海草が豊富で、「ジュゴンのレストラン」ともいわれているそうだ。東恩納さんは地元でこういったエコツアーなどを開くことで、環境の面から基地問題に取り組んでいる。
 辺野古の浜にある、海兵隊員の早期育成基地、キャンプ・シュワブ。いつもは有刺鉄線のむこうを、米軍の水陸両用装甲車が走りまわっているという。
 ヘリポート建設反対運動をする住民たちが結成した『命を守る会』の“おじい”こと嘉陽宗義さんはこう話してくれた。「基地ができたら、我々は海に飛び込んで死ぬ覚悟でした。しかし、東京から来た小学生にこの話をしたら、『おじい、死ぬな』と言われた。あの子たちが一緒に平和運動をやってくれると約束したから、我々は安心して平和運動を続け、いまも死なないで生きています」。すでに、ヘリポートを造るための測量は始まっている。おじいとおばあは、その測量船が出るのを体を張って止めている。
 米国から来たIS(国際学生)のライアンに、おじいはこう話しかけた。「クリントンさんは、沖縄に来たとき『本当の友人になりましょう』といいました。私たちは本当の友人になりましょう。だったら、戦いや武器ではなく、話し合いで解決していきましょう」。おじいとライアンとの、かたいかたい握手。
 最後に訪れたのは佐喜眞美術館。ここは、普天間基地の一部になっていた自分の土地を「取り返し」たところに建てられたものだ。
 ここの中庭にある、沖縄の伝統的な「亀甲墓」は、館長・佐喜眞さんの先祖のお墓だという。屋上からは普天間基地の一部が望める。時々、軍のヘリコプターがものすごい轟音をたてて飛び立っていった。副館長の「この町の4分の1は基地。沖縄の中に基地があるんじゃないんです。『基地の中に沖縄がある』んです」という言葉が、この日見た「沖縄」を象徴しているように思った。
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