南アUPAスタディーツアー
 ヨハネスブルクで最大の旧「黒人居住区」ソウェト。ここには、居住区の子どもたちを中心に音楽を教えている「アフリカン・ユース・アンサンブル」という楽団がある。ここは1986年、現在も指導者として活動しているコロワネさんがイギリスから帰国、近所の子 どもたちに音楽を教えたことから始まったものだ。
  昨年もここを訪れたUPA国際協力プロジェクトでは、再び彼らを訪ねてスタディーツアーを遂行、夜は楽団メンバーの家にホームステイをした。今回もここに楽器を届けるとともに、昨年届けたバイオリンやチェロが子どもたちに使われている風景を見ることもできた。
 アフリカンユースアンサンブルの生徒たちの演奏風景。彼らは、昨年の36回クルーズで届けられたバイオリンを使って、日本の曲「花」を演奏してくれた。
  他の居住区と同様、ソウェトも失業と治安について問題を抱えている。が、ここで出会った若者たちは「犯罪や暴力に走ることは簡単にできるけれど、音楽にエネルギーを注ぐことで、楽器の練習が忙しくてそんな時間はないんだ」と口を揃えて言った。
  また、アパルトヘイト時代には黒人の授業に「音楽」はなかったという。しかし今回、彼らに「将来なりたいものは?」 と聞くと、「バイオリニスト!」という答が返ってきた。
 夜は、楽団メンバーの家に1人ずつホームステイさせてもらった。ソウェトでは、地域の住民同士のつながりがとても強く、町全体が「家族」のようだった。しかし、一歩町の外に出ると、「白人居住区」と「黒人居住区」は、見た目からいっても、あまりにもはっ きり分かれている。それを目の当たりにし、本当の意味での「アパルトヘイト」はまだまだ終わってはいないことを痛感した。
 翌日、ソウェトのパワーパーク地区を訪れた。ここは火力発電所の近くにあるため「パワーパーク」と呼ばれるが、ここ自体には電気が通っておらず、トイレと水場も共同だ。昨日訪れたところよりも経済的に苦しい家が多いそうで、トタンでできたバラックが立ち並ぶ。
  ここでは、ピースボールプロジェクトが日本で集めたサッカーボールを子どもたちに届けてきた。南アフリカでも、サッカーは 非常に人気の高いスポーツだ。サッカーチームのコーチは「南アフリカでは歴史的背景や貧困などの理由から、夢さえも見ることのできない黒人の子どもたちがたくさんいます。けれどもピースボートがボールを届けてくれたことによって、彼らはペレになろうという 『夢』を見ることができるのです」と言ってくれた。
 1976年6月16日、ソウェトの若者たちが中心になって始まった「ソウェト蜂起」。このデモ隊に警察官が発泡し、500人以上が死亡したと言われる。これをきっかけに、反アパルトヘイト運動は世界中に広まった。
 その犠牲者に捧げられている碑を訪れ、平和への祈りを込めて黙とうした。このツアーに同行してくださったガイドのルイさんは 「長い歴史の中で虐げられてきて、黒人の中にも劣等感を持つ人だって少なくない。でも、あなたたちが訪れてくれることが、それをぬぐい去るきっかけとなる。だからこそもっとたくさんの人にこの地を訪れて欲しい」と言った。この言葉を聞いて、現地を自分たちの目で直接見ることの大切さを、あらためて気づかされた。
(小林由佳)
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