「虹の国」南アフリカを目指して
 ネルソン・マンデラ元大統領が「黒人も白人もカラードも、多民族が共存していける ‘虹の国’」と謳った南アフリカ。ケープタウンの港からは美しい街並みがひろがっているが、一方ではまだまだアパルトヘイト政策の傷跡も残されている。私たちは、過去に多くの政治犯が収容され、ネルソン・マンデラ氏も18年間過ごしたというロベン島の刑務所を見学。また、暴力ではなく対話で問題を解決していこうというNGO『正義と和解協会』の取り組みについても話を聞いた。
 ガイドのセングさんは、実はここの元囚人。彼は生々しく当時の生活について語ってくれた。
  「この部屋では、315人もの人が収容され、寝るときには仰向けになることも寝返りをうつこともできませんでした。肺炎やハンセン病などの感染症も蔓延してましたし、また、収容者はほぼ反アパルトヘイト運動をしていた黒人と有色人種の男性で、しかも人種によって支給される食事や服が違う。刑務所内でもアパルトヘイトはきっちりおこなわれていたのです」
 刑務所内での労働は、粘板岩(スレート)の発掘とその運搬、それをさらに細かく砕く作業。その岩は、当時舗装や建築の材料として利用されていたが、この仕事そのものは「労働のための労働」であり、ただ受刑者を疲労させるために行われていたという。目的のない労働を強いられていた受刑者たちの気持ちは、一体どんなものだったのだろうか。
 政治犯として投獄されていたある黒人解放組織のリーダー、ロバート・ソブクエ氏が、刑期を終えようとしたときのこと。出獄後の彼の影響力を恐れた当時の政府は、ソブクエ氏を世間から隔離するための法律を制定した。
  結局、彼は亡くなるまでの6年間、人に会う ことも許されず、この写真の家で、1人で過ごしていたのだという。この法律の名は「ソブクエ法」と言い、彼1人だけを制するためのものだ。
  たったひとりの人間を管理下におくために、当時の南アフリカ政府は法律までつくってしまったのだ。
 石灰石の発掘場所は、受刑者にとって「労働の場」であると同時に「学校」でもあったという。
  選ばれた人間だけだったとはいえ、当時の刑務所で、政治犯が学ぶ権利を得ることができたということは意外な事実だ。実際、読み書きができないような状態だったのが、出獄までに3つの学位を取得した人や、法律の学位を取得して裁判官になった人もいるという。
  ガイドのセングさんは言った。「現在、ロベン島で教えている最も大切なことは、『人権侵害は絶対にしてはいけない』ということです」。
 アパルトヘイト廃絶後、人々の心のケアに取り組んでいるNGO「正義と和解協会」を訪 れた。
  ここでは、アパルトヘイト廃止後10年近く経ってもまだ残る「溝」を埋めるため、加害者・被害者の両方の心を癒し、傷を見直すことで社会を再構築しようという努力をしているという。スタッフの方はこう言った。「過去を認識し理解した上で、正義と和解が行わ れているかを確認しながら将来に向かっていくこと、これが大切なんです」。過去と現在の両方における「アパルトヘイトの及ぼした影響」を学んだ1日となった。
(平野弥生、寺田満実子)
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