ケープタウン「家」事情
 40年以上続いたアパルトヘイトの時代には、人種ごとに住むところをも決められた。そんな南アフリカ・第二の都市ケープタウンでもそれは同じだ。もともとは白人も黒人も共に暮らしていた町が、政策により強制的に解体された町がある。ここでは、そんな町ディストリック・シックスと、地方から都市に出てきたものの家を持つことができない「ホームレス」のためのNGOを訪問。南アフリカの「住宅事情」から、アパルトヘイトが見えてくる2日間となった。
 ディストリック・シックス地域では、1950〜60年代にかけて、アパルトヘイト政策で強制移住をさせられて、町が解体された。その歴史を風化させないために、地域のすぐそばに建てられた博物館を訪れた。館内の床には大きな地図が描かれており、地図はもともとここに住んでいた人たちによる記名で埋められていた。しかし、住民たちの多くはすでに新しい土地で新しい生活をはじめているため、ここに戻ることは容易ではない。多くは自分の子どもや子孫にその思いを託しているのだという。
 ディレック・ハネコム・リソース・センターは宿泊施設や会議室として貸し出され、その収入が家を建てる資金源になっている。ここを運営している「南アフリカのホームレスを救う会」は1993年に4人の女性が、お金も技術もない「ゼロ」からスタートしたNGOだ。彼女たちは、説明会を開き、この計画の賛同者から資金を提供してもらったり、政府からも支援を得たりして続けてきたという。
 エコプミレーミ、VMXという2つの地域にわかれて、外壁の塗装作業のお手伝い。足場を組み、散水器を使い下地作業をして、塗り方を教えてもらいながら塗装作業を行った。白く塗られた壁に「交流の証」として、作業した人の名前と「第40回ピースボート」の文字を残してきた。
 およそ4時間の作業を終えるころ、コミュニティーの子どもたちが集まってきた。塗り終えた家をバックに、みんなで記念撮影。子どもたちは、このような作業を見慣れているせいか、道端でじっと僕たちの作業を見つめている。一休みをしているとすぐに彼らは集まってきて、名前を書いてくれと頼まれたり現地の言葉を教えてくれたりした。
 センター長のマーガレットさんに、家を建てるための道具、サッカーボール、ブランケットを贈呈した。このブランケットはピースボート内のチーム「もみじの手」が日本で集めたもの。このコミュニティーにおいて、寒さをしのぐために使われるのだという。
 「安心して暮らせる家とは?」について考えた2日間。アパルトヘイトによって解体された町・ディストリック・シックス。対して、アパルトヘイトが終わり、どこにでも住むことができるようになったいま、家を作りつづけている町、エコプミレーミとVMX。これらはまったく違うもののように見えて、どちらも「アパルトヘイト」が影響しているのだと思わずにはいられなかった。
(青木健治)
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