1月4日 そのとき僕たちは…〜アパルトヘイトをめぐる2つの人生〜
/ビクター・マトム(フォトジャーナリスト)、津山直子(日本国際ボランティアセンター南ア代表)
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フォトジャーナリストのビクターさんと、JVC(日本国際ボランティアセンター)南ア代表の津山さん、お二人による講座第一弾。アパルトヘイトただ中の南アと撤廃後の南ア、両方の時代を生きているからこそ語れる、マトムさんの生の声と、遠い日本からアパルトヘイトの問題に関わってきた津山さん、お二人の生きざまを聞くことができた。 |
津山直子さん
「学生時代に福祉を学ぶため訪れたスウェーデンでは、国民一人一人が『国際協力』と『自国の福祉』を同じくらい重要なのだと考えていました。また『南アの子ども達と連帯する日』という日があって、その日、子どもたちはお手伝いをしたり、お菓子を焼いたり、自由にお金を稼ぎ、そのお金を非常事態宣言下に不当逮捕された南アの子ども達の裁判費用とするため送っていました。しかし一方で、国際社会でアパルトヘイトへの非難が高まる中、日本は南アの重要な貿易相手国となり、『名誉白人』と呼ばれる不名誉な称号を与えられたのです。そういう中で、スウェーデンの子ども達のように私自身何か行動したいと思い、アパルトヘイトの問題に関わっていくことになりました。」
ビクター・マトムさん
「私ははもともと『モリフェー』という名前でした。しかし、このアフリカ名から英語名の『ビクター』に学校で改名させられました。また、父は黒人・母はカラードであったため、二人は別居しなければなりませんでした。この体制に疑問を持った僕は、弱いものを助ける医者になりたいと思いましたが、経済的にも、アパルトヘイトという体制的にもそれは不可能でした。そして生計を助けるためにカメラを持ち始めたのですが、カメラも平等な社会を獲得するための武器のひとつであると思うようになり、私は写真を通して南アで起きていることを世界に訴えていこう、と思ったのです。」
(藤森美里)
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食から見た世界/小林カツ代(料理研究家) |
ケニアから水先案内人として乗船された料理研究家・小林カツ代さんによる、はじめての講座が開かれた。今回は、ピースボートスタッフ・中原大弐との対談形式。
さまざまな話題が出てくる中、ひときわ会場が静まりかえったのは、小林さんが「平和に対する思い」を語ったところ。今回は、その話の中から、小林さんが「平和」について考える原点ともなっているエピソードを紹介する。 |
「軍での体験に悩まされ、睡眠薬を飲まないと眠れない生活をしていた父親を小学生の頃からみてきました。その父が重病にかかってしまい、もう1人では出歩けないほどの状態になってしまいました。それでも父は、戦友会に出かけていこうとするのです。それを家族でとめたところ、『戦争の時、中国でいちばん残酷な行為をしたのに、戦後は成金になってチヤホヤされ、自分のしてきた行為を忘れようとしている人間がいる。自分はその横に座って、中国の人に代って“中国の人の夢を見ないか、みんな忘れた顔をしているけど私は忘れない”と、そのことを言うために毎年出席しているんだ』という話を打ち明けられました。苦しい体で出かけていった父親の背中が忘れられません。それが最後の戦友会となり、父は亡くなりました。私は、その意志を受けついでいこうと思っています。」
(中村真美)
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