エリトリアオーバーランドツアー
 日本ではまだまだ知られていない国、エリトリアの現状を知ろうという、4日間のオーバーランドツアー。
  首都のアスマラをはじめ、エチオピア国境近くのセナフェ、活気あるマーケットの町カレンを訪れた。戦争の傷跡と、国造りに向け努力する人々の素朴で温かい人柄に触れ、さまざまなことを考えさせられたツアーとなった。
 エリトリアにとって復興の象徴である蒸気機関車(SL)。もともとこのSLはイタリアによる植民地時代に造られたものだが、長い独立戦争時代、レールも壊されてしまった。
  独立戦争後、イタリアから援助の申し出があったにもかかわらず、エリトリアの人々は手作業で一つ一つ枕木を並べ、みごと復活させたという。このSLに乗ることで、エリトリアの人たちの「誇り」に触れたような気がする。
 アスマラ市郊外にある孤児院を訪ねた。ここは、1943年イギリスの植民地時代だった1943年に設立され、乳児から18才まで300人の子供たちがいる。「多民族」の国だけに、いろいろな民族の子供たちがいるが、互いに「民族」を尊重しており、時々は親戚の家などを訪れることもあるという。
  私たちがプレイルームに行くと、ちいさな子供たちが大勢寄ってきて、カメラに興味を示したり、抱っこを求めてきたり。
 1998年から2年間続いたエチオピアとの国境紛争で、激しい戦火を浴びたセナフェ。この紛争により、病院・学校など公共施設は全て壊された。今でも壊れたままの建物に、争いの激しさを垣間見ることができる。私たちが訪れた「病院」では、かろうじて残っている所を今でも使用しており、壁に穴の空いた部屋や廊下に並ぶテントに入院する人もいる。薬や医療器具などはまったく足りない状態だ。
  またここには、かつて国境付近に住んでいた人々が「キャンプ」を張って暮らしている。彼らは紛争時代に地雷が埋められたり家が壊されたりして家に帰れず、事実上の「難民キャンプ」になっているのだ。ここ最近の干ばつで、食糧不足も深刻になりつつあるという。
 アスマラ郊外には「戦車の墓場」がある。ここは名前の通り、数多くの戦車や装甲車が放置されているところだ。ここにある戦車は、旧ソ連製のもの。
  独立戦争の時、どの国からも軍事支援を受けおらず、戦車なども持っていなかったエリトリアは、エチオピアから戦車を奪い取った。それがいま、「エチオピアの戦力を削いだ証」としてここに集められている。中には、実弾が残されたままになっているものも。
 首都アスマラの賑やかさとはまた違った雰囲気のマーケットを持つ街、カレン。
  この街には、エリトリア国内に住む、ほとんどの民族が集まる。市場では野菜・果物を始め、民族衣装・布・銀製品・陶器・なんとヤギやラクダまで実に多様な(?)品揃え。民族衣装 のカラフルさと、売り子さんたちの活気があふれる、明るい街だった。
(西野恵美)
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