第39回ピースボート地球一周クルーズレポート
マッサワ

国名
エリトリア国 (State of Eritrea)

ことば
ティグリニア語、アラブ語
・解説
 アクスム古代王国の滅亡後、トルコ、エジプトなどの支配時代を経て、19世紀末からイタリアの支配下に。第二次世界大戦後に隣国エチオピアと連邦を結成して独立するが、エチオピアによる抑圧が強まり、1962年には一方的にエチオピアに併合された。
 以後、独立を求める戦いは30年以上継続。1993年に国連監視のもとで独立を問う住民投票が行われ、9割を越える人々が独立を支持、ようやく正式独立が決定した。
 旧宗主国であるエチオピアとは友好関係を保っていたが、98年、国境確定や港の使用料問題をめぐって紛争が再燃。2000年6月に停戦が成立したものの、数万人が難民となって、国内やスーダンの難民キャンプに流出した。2001年から、ようやく政府による難民の帰還が進められている。

港町マッサワめぐり
 30年にわたる戦争を経て、ようやく独立を経たエリトリア。その激戦地にもなったマッサワの街をめぐる。まずは、いまも砲弾跡が残る元「銀行」や公邸別荘を見学。市内の殉教者記念公園には3台の戦車があり、その砲口からは噴水が飛び出している。これは「平和な世の中でありますように」という意味だという。
  海岸沿いの塩田地帯を車窓から見学した後は、昼食にはエリトリアの主食「インジャラ」とエリトリアの「茶の湯」ともいうべきコーヒーセレモニーを体験。その後は、ディーゼル機関車に乗って車窓からの風景を楽しむ。いまだ戦争の跡が残るマッサワに住む人々の生活、そして復興への意欲を感じたツアーになった。
(井上伊都子)

UPA流国際協力
 8月、「干ばつによる食糧難の危機」と政府発表があったエリトリア。それを受けて、UPA国際協力プロジェクトでは、出航前の日本で、乾パンの提供を呼びかけた。このツアー「UPA流国際協力」では、その20万食・段ボールにして3500箱を船のカーデッキから降ろす作業から始まった。炎天下の中、荷下ろしは無事終了。
 その後、エリトリアの若者たちによるNGO「エリトリア青年同盟(NUEYS)」を訪問し、昨年寄港した時に贈ったパソコンがどのように使われているのかを見学。また、'98年からマッサワ市内でおこなわれている「シーウォータープロジェクト」の見学もできた。これは、マングローブを植林し、その根っこに集まってくるプランクトンを餌にしてエビを養殖するというもの。「そこでとったエビはヨーロッパに輸出しています。そうして入ってきたお金は、人件費や設備費にあてています。それによって、ずっと続けていけるプロジェクトになるんです」というスタッフの言葉に、エリトリアの持つ「可能性」を感じた。
(小松美香)

灼熱荒野でピースキャラバン
 国旗の図柄にもあるとおり、エリトリアの「シンボル」になっている動物・ラクダ。その眠そうな目からも、ゆっくりとした動きを想像しがちだけれど、遊牧民族・ラシャイダ族の人たちを乗せて走る姿は意外にたくましく、まわりからも歓声があがるほど。そのラクダさんたちに乗って、灼熱の荒野をピース・キャラバン。
  到着前、日中の気温は約50度まで上昇すると聞き、その数字に少々不安が…。しかし、砂漠のせいか湿気も少なく、私たちが着いた頃には心地よい風も吹きはじめたため、それほど暑さを気にすることなくキャラバンを満喫、ラクダの乗りごこちも上々。
(関口裕美)

エリトリアオーバーランドツアー
 日本ではまだまだ知られていない国、エリトリアの現状を知ろうという、4日間のオーバーランドツアー。
  首都のアスマラをはじめ、エチオピア国境近くのセナフェ、活気あるマーケットの町カレンを訪れた。戦争の傷跡と、国造りに向け努力する人々の素朴で温かい人柄に触れ、さまざまなことを考えさせられたツアーとなった。

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