UPA国際協力プロジェクト・オーバーランドツアー
 地球一周を通して支援物資を寄港地に届けるというプロジェクト「UPA国際協力プロジェクト」の有志13人が、フィリピンで一時離脱し、4泊5日のオーバーランドツアーを決行した。
  目的はフィリピンの漁村ナボタスに文房具とパソコン、公立学校にバスケットボール、サッカーボールとパソコン、パヤタスのゴミ集積場に住む人達にバスケットボールと足踏みミシンを届け、それぞれの現状調査をすることだった。
 マニラ市内北部にある漁村・ナボタス。ここに住む人々のほとんどは漁業を生業とし、細々と「その日暮らし」の生活を送っている。
  インフラ整備が整わず、下水設備もないここでは、あらゆるゴミや汚物を海に捨てている。それがあまりに大量のため、海面の水位が上昇し、家々が浸水し始めた。その対策として、 90年代、政府が干拓堤防政策を行ったのだが失敗。逆に頻繁に洪水が起こりやすくなったうえに、満潮時は約1メートルの高さまで浸水してくる。このため漁師は仕事に出れず、家計を支えるために 子供たちも働いており、学校に行きたくてもできない状況だ。
  だが、「学歴社会」のフィリピンでは、収入の高い職業に就くためには学歴が不可欠。「なんとしても子供たちを学校に行かせたい」という 要望を受け、UPAは日本で文房具とパソコンを集め、彼らに届けることになった。
 ナナボタスの漁村で一泊のホームステイ。ナボタスにある家は小さいものばかりなので、3・4人のグループに分かれてお邪魔することになった。そのうちのひとつは、夫婦で雑貨屋を営んでおり、彼らの子供1人と合わせて家族は3人。
  「日本人が来た」ことで興奮しているのか、さらに近所の人たちが集まってきて、もう大騒ぎ。時計はすでに、夜の11時を回っていたが、騒ぎはとどまることを知らない。近所の子供たちと歌うわ踊るわでにぎやかに時は過ぎ、寝る頃にはもう2時をまわっていた。
 ナボタスでは現在、政府による「洪水管理計画」が進んでいる。その工事のために住民たちが強制移住させられている。仕事も何も補償のないまま移住させられる対象者の数は、およそ1万4千人。しかも、その工事は日本政府からのODA(政府開発援助)によるものだという。フィリピンのNGO「VUR」がおこなっているナボタス救済プロジェクト「リーガ」の スタッフ、アルマさんとロナルドさんは、こう話してくれた。
アルマさん:「ナボタスにおける一番の問題とは、洪水と仕事です。フィリピン政府は洪水対策として 新たに堤防を造ろうとしている。そのため、私たちはここから遙か離れた山奥に移住するよう、政府から要請をうけています。しかしそこにはまっさらの土地があるだけ。家も自分で建てなくてはならない。 そこには働ける場所も、学校もないんです」
ロナルドさん:「日本政府に伝えてほしい。私たちの生活を壊すような資金援助はいらない。ただ、私たちの抱えている現実、ありのままの事実を出来るだけ多くの人に伝えてほしい。そして協力してほしい。」
 フィリピンの「貧富の差」は、ごく普通の生活の中にも見ることが出来る。
  分かりやすいのが、私立学校と公立学校の違い。私立学校は、広い校庭や校舎、パソコン、遊具など一通り完備されているが、その分だけ授業料が高い。一方、公立学校は授業こそ無料だが、校舎も狭いし遊具もパソコンもない。そのため、 私立に比べて満足な勉強をすることができない。
  そこで今回、公立学校にパソコンとバスケットボール、サッカーボールを届けることにした。案内された広い教室で、大人子供 まざったたくさんの人たちが、大きな拍手で迎え入れてくれた。ここで校長先生に物資を手渡した。その後は子どもたちと校庭を走り回って大騒ぎ。子どもはやっぱり、どこでも元気だ。
 最後に向かったのは、マニラ市内のパヤタスにある「ゴミ集積場」。ここは、1970年代からゴミが捨てられるようになり、徐々にそれが丘のように高く大きくなっていったものだ。
  だが2000年、台風でゴミ山が崩れ、その周辺に住んでいた人々が生き埋めになった。200人が死亡、200人が今でも「行方不明」のままだ。ここに住む子供たちにバスケットボールを、そして女性たちの 経済的自立の為に足踏みミシンを届けた。
  ここパヤタスに事務所を構えているNGO「SALT」スタッフ・ 伊藤さんはこういった。「本当は、彼らだってもっと収入の高い職業につきたいと 願っている。だが、そのために必要な学力がない。勉強したくても、学校に通うだけのお金がない。 だからとりあえずゴミを拾ってお金を稼ぐ。この悪循環から抜け出すためには、まずは誰かの助けが必要なんです」
(小林英里)
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