第39回ピースボート地球一周クルーズレポート
マニラ

国名
フィリピン共和国 (Republic of the Philippines)

ことば
公用語となっているのは英語と、タガログ語をもとにしたフィリピノ語 
・解説
 16世紀半ばからスペインによる支配を受け、1899年の独立戦争後は、実質上米国の支配下に。さらに第二次世界大戦がはじまると、侵攻してきた日本軍による支配がはじまり、多くの人々が犠牲となった。
 戦後は待ち望んだ独立が実現するが、1972年からは、マルコス大統領の施政下で、約10年にもわたる戒厳令が発令。83年のベニグノ・アキノ暗殺事件をきっかけとして、結果的にマルコス退陣にまでつながった「反マルコス運動」の高まりは「ピープル・パワー」と呼ばれ、日本でも大きな注目を集めた。さらに99年には、ふたたび民衆が立ち上がってのエストラダ大統領退陣、アロヨ新政権誕生の動きがあり、「ピープル・パワー2」とも称されている。
 いっぽう、貧富の格差の大きさは深刻な社会問題のひとつ。マニラ近辺にも多くのスラム地区が点在する。また、海外への出稼ぎ者も非常に多く、日本にも大勢のフィリピン人労働者が滞在している。首都マニラはそれほど観光ポイントの多い街ではないが、そこに暮らす人たちの熱気とパワーこそが最大の「見どころ」だ。

伝説のバンド「アシン」コンサート
 80年代にフィリピンで絶大な人気をほこり、いま現在でも「伝説」となっているバンド「アシン」のコンサートを聴く。会場には、パヤタスのゴミ集積場で暮らす子どもたちと、かつて日本軍に「従軍慰安婦」とされたマパニケ村のロラ(おばあさん)たちもかけつけ、彼らとの大交流。アシンの歌で踊り、子どもたちと遊び、ロラたちの涙ながらの訴えを目の当たりにする、フィリピンのいろんな顔、そして日本との関わりがかいま見える交流になった。

「ジャピーノ」と出会う
 日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた「日比混血児(ジャピーノ)」とその母親とを支援するNGO・DAWNを訪問。子どもたちのミュージカルや母親の演劇を見た後は、母親たち手作りの夕食をいただき、とびきり人なつこい子どもたちとの大交流。フィリピンの人びとの、あったかい「ホスピタリティ」に触れたコースとなった。

UPA国際協力プロジェクト・オーバーランドツアー
 地球一周を通して支援物資を寄港地に届けるというプロジェクトチーム、“UPA”の有志13人が、フィリピンで一時離脱し、4泊5日のオーバーランドツアーを決行した。目的はフィリピンの漁村ナボタスに文房具とパソコン、公立学校にバスケットボール、サッカーボールとパソコン、パヤタスのゴミ集積場に住む人達にバスケットボールと足踏みミシンを届け、それぞれの現状調査をすることだった。

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