もう1つの9月11日〜チリ・真実の歴史〜
/ガブリエラ・スーニガ(行方不明者家族の会広報担当)
 1970年代から、17年にもわたってピノチェト軍事政権下にあったチリでは、多くの人々が政府によって殺害され、あるいは行方不明となった。民政移管から10年以上がたった今も、生死さえ明らかになっていない行方不明者が数多くいるという。
 そんな行方不明者たちの家族が集まって結成したのが「行方不明者家族の会(AFDD)」。行方不明者の生還と真実解明、そしてピノチェト元大統領をはじめとする軍部の責任追及などを続けている。
 その広報担当を務めるのが、ジャーナリストのガブリエラ・スーニガさん。初講座となった今回は、チリ軍政時代の「前章」ともいえる、ピノチェトがクーデターによって政権を握るまでのチリ国内の動きについて話していただいた。
 「チリでは1970年の選挙で、サルバドール・アジェンデを大統領とする社会主義政権が成立しました。しかし、アジェンデ大統領は政治的な力こそ持っていたものの、経済的な影響力はほとんど持たなかったのです。
 アジェンデの反対派、右派の多くを占めていたのは、資本家など経済力を持つ人々でした。彼らは、アジェンデ政権を弱体化させるために、自分の会社を閉鎖したり、自分が握っている交通機関を閉鎖したりして、労働者たちから働く場を奪うという手段に出たのです。彼らにそんなことができた裏には、社会主義政権を嫌ったアメリカの支援がありました。
 チリ経済は急激に悪化し、途方に暮れたアジェンデは軍部に協力を要請しました。このときに国防長官に任命されたのがピノチェトです。しかし、彼はその2ヵ月後、軍事クーデターを強行しました。サンチアゴにある、大統領府として使われていたモネダ宮殿が爆破され、アジェンデもその中で自殺を遂げました。そして、17年間も続いた、チリの『暗い夜』がはじまったのです。」
(浅野目)
ヨンさんの部屋〜学校嫌い?〜/キム・ヨン(同志社大学講師)
 気さくな性格で、船内でも人気者の水先案内人、キム・ヨンさん。「ヨンさんの部屋」と題したこの講座は、毎回のテーマに沿った乗船者が集まり、ヨンさんの司会でそれぞれの意見を出し合って話し合おうというもの。
 「学校嫌い?」と題した第1回には、乗船前教師をしていたという人、学校を休学して乗船したという学生などが登場。日本の教育について、改善するべきところなどについて、会場からの意見も交えて話し合った。
 「人間は、人と人との出会いなどを通じて人格の形成していくことが必要です。が、これまでの日本の教育はそれをおろそかにしてきました。
 世の中の基準も、学校の偏差値が低い人の価値を認めないようになっています。
 これからは学ぶ人たちに、学校の『勉強』だけではない様々な選択肢を用意し、それを選ぶ能力を身につけられるような世の中にしていかなければならないですね。」
(藤原)
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