レプティス・マグナのローマ遺跡へ
トリポリより車で約1時間半、紀元前1000年前後から地中海で広く交易を行ってきたフィニュキア人がアフリカでの拠点として建設、紀元前1世紀後半にはローマ帝国の支配下で発展したレプティス・マグナの遺跡を訪れた。
レプティス・マグナの「レプティス」は「偉大な」という意味。その名に相応しい圧倒的なスケールと美しさに思わず言葉を失い、またこれだけの文化を築き上げた当時の人々に思いを馳せながら歩いた。
遺跡に入ってまず目を引くのがセウェルスの凱旋門。ローマ皇帝に君臨したセウェルス・アントニヌスはここレプティス・マグナの出身。その故郷に彼は、本国にも勝るような壮麗で贅を尽くした都市を築いたのだ。この50ヘクタールに及ぶ敷地では、発掘調査は未だ全体の20%しか行われていないというが、既に30を越す遺構が発見されている。
当時は一面大理石で埋め尽くされていたのが、温水・冷水それぞれを多数備えていたという大規模な公共浴場。市民の社交場としても機能し、モザイク画に描かれた水着姿の女性から、混浴であったとされている。
こちらはサウナの跡。当時は屋根が設置され、周囲に張り巡らされたセラミックの筒より熱気を室内に充満させた。
サウナ跡の中のいくつかには、オイルマッサージをするための台まで完備されていた。マッサージに用いたのは、現在でも収穫され、名産品のひとつでもあるオリーブのオイル。
いわゆる公衆トイレには40ものトイレが一同に並び、その近くには香を焚くための台、そして便座の下には下水が完備されている。ちなみに隣との敷居はなく、かつ男女共用であったとか。
町の中心に置かれるフォーラム(広場)は、まずその広さに圧倒される。ローマ帝国が滅亡した7世紀以降、一部は破壊されもしたが、砂に埋まったことで現在のように比較的保存状態の良い姿を目にすることができる。この巨大なフォーラムでさえ、発掘されるまでは一面砂の下にあった。
市場跡では、水、米、野菜、魚などの重さや大きさを計量するいくつかの道具が残されていた。写真は、井戸から水を汲み上げる際の設備。この石に綱を掛け水を汲み上げた。
アグトゥスの劇場。1世紀に作られた円形劇場で、舞台裏に残る柱は神殿の跡。オーケストラが置かれた舞台下には、音を効果的に反響されるため工夫も施されている。驚くことに、実際に声を発してみると現在でもその音は響く。
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