国名
 シンガポール共和国 Republic of Singapore

ことば
 英語、中国語(公用語は北京語)
・歴史
 19世紀、イギリス東インド会社の中国との貿易中継地としてイギリスの植民地下に。第二次世界大戦中は日本の支配下におかれ、「昭南島」と改名された。戦後イギリスの直轄植民地となり、1963年、マラヤ、ボルネオなどとともに「マレーシア連邦」として独立。しかし、連邦政府はマレー人優遇政策をとり、華僑の多いシンガポールはこれと対立を深める。
 65年、連邦を脱退し、シンガポール共和国として独立。リ・クワン・ユー首相が進めた積極的な海外企業誘致、金融市場の育成などにより、「奇跡」ともいわれる経済成長をとげた。「ゴミひとつない」ほどに整備された街並みと、それを実現している「管理国家」ぶりも有名だ。

南インドのNGO体験
「持続可能な農業」の実現と農村部の開発、環境・農業技術の研究、さらには農村部の女性や若者達への教育・職業訓練を目的に1988年に設立されたNGO「M.Sスワミナサン研究財団(MSSRF)」。5泊6日の日程で、MSSRFの研究所や、実際に自然資源を守り生かす農業を進める「バイオビレッジ」などを訪問した。
インドに暮らす人々と交流し、実際に農作業を体験することで、NGOの役割、そして21世紀の持続可能な開発の形と可能性を見た。

シンガポール知ってるつもり!?
太平洋戦争中の1942年2月15日、日本軍の占領下に入り、以後「昭南島」と改称されて、1945年8月まで3年6ヶ月にわたる軍事支配を受けたという「真実」はあまり知られていない。
高級ホテルなどが並ぶシンガポールの街の一角にある、戦争記念公園の中央に建っていたのは、日本軍によって殺された、数万人にも及ぶ人たちを弔うために造られた「日本占領時期至難人民記念碑」。4本の柱は、それぞれ中国人、マレー人、インド人、ヨーロッパ人を表しているという。ここでは参加者の代表2名が献花し、全員で追悼をおこなった。「戦争はあった。しかし、戦争の話はしたくない。昔のことで今を不愉快に過ごしたくない。」案内してくれたガイドの言葉に、少し複雑な気分にさせられた。
(五島)

多民族ストリート散策
アジアの文化が交差するここシンガポールは、華人、マレー人、インド人の3大民族の他に、西欧人、アラブ人、そして日本人など様々な民族が共存している。シンガポールのシンボルとされるマーライオン、スパイスの香り漂うリトル・インディアやコーランの流れるアラブ・ストリートを歩いたりと、シンガポールが持つ多彩な「顔」を垣間見た。

多民族団地の家庭訪問
シンガポールの人口の8割が暮らすという集合住宅(HDB)を訪れるコース。おじゃましたのはとっても気さくなお母さん、娘さん、可愛い盛りのやんちゃなお孫さんが一緒に暮らす賑やかなマレー人の家庭。
日本でいうところの「団地」のような景色の中には、学校、病院、レストランなど生活する中で必要な施設が全て揃っていた。印象的なのは、それぞれの家庭の窓から伸びる物干し竿に洗濯物がぶら下がる、なんだか親しみの沸いてくる景色。お宅へおじゃまし、手作りのお菓子を囲む。娘さんの結婚式の写真と、自分の家族の写真を互いに見せ合って、おしゃべりを楽しんだり。観光だけでない、素顔のシンガポールに触れることができました。

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