ボスニア・ヘルツェゴビナへ
深い青色の川、そして石畳の街並みの美しい街、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルは、かつての内戦時に最も激しい戦闘の行われた地域。内戦が終わり5年たった現在も、その修復作業はほとんど進んでいない。当時の様子が生々しく残る街並みを歩いた。
20万人にものぼる死者と200万人の難民を出したボスニア・ヘルツェゴビナ内戦が終結したのは、1999年末のこと。
壊れたままの信号が放置され、壁には銃弾の跡の穴。そんな様子は、今も街のあちらこちらに見られる。壊れた橋や建物には草木が生い茂っていた。
世界三大テノールの1人、イタリア人のパパロッティの寄付で造られたミュージックセンターへ。パパロッ ティがイタリアで行った2度のコンサートの収益金によって建てられた。
ここは、音楽を志す若者たちの勉強の場であるだけでなく、発表の場を提供することで、彼らがプロとして自立する手助けもしている。さらに、戦争で傷ついた子供たちの心を音楽で癒すというプロジェクトも行われていた。
1994年に設立されたNGO「Mladi Most」。ここでは映画・写真・ダンスなどを通じて異なった民族どうしの交流を計ったり、紛争で負った心の傷を癒すことを目的とする「オルタナティブ・アート」というプログラムが実施されていた。
その他にも、紛争解決のためのワークショップなどが実施されており、設立当初は若者を対象とした活動だったというが、現在は10代に満たない子供から、70代の方までが対象となっている。紛争の傷跡は今なお、多くの人の心の中にも残っているようだった。
(花岡)
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