国名
 メキシコ合衆国 United Mexican States

ことば
 スペイン語
・歴史
 紀元前から、「メキシコ最古の文明」といわれるオルメカ文明をはじめ、マヤ、テオティワカン、アステカなど、さまざまな文明が栄えた。アステカ王国が栄えていた16世紀から、スペインによる侵略がはじまり、多くの先住の民が犠牲となる。
 18世紀後半からは、クリオーリョ(メキシコ生まれのスペイン人)を中心に、スペインからの独立を求める動きが高まった。1810年、クリオーリョのイダルゴ神父による蜂起をきっかけに、メキシコ独立戦争が勃発。1821年に独立が達成された。
 独立後も、保守派と自由主義派の対立、1910年のメキシコ革命、度重なる大統領暗殺など、政情は混乱が続いた。1929年からは国民革命党(のちに制度的革命党)の一党独裁となったが、2000年の大統領選で野党のフォックスが当選。先住民族ゲリラサパティスタ解放戦線との対話姿勢を見せるなど、「変化」に注目が集まっている。

アカプルコ市内半日観光
メキシコ・マルケサス湾に沿ってのびる道を周り、展望台からの景色を眺望。アカプルコ市内で銀製品などの民芸品を作る工場を見学した。最後はアカプルコの観光名物、ラ・ケブラダのダイビングショーを鑑賞。プロのダイバーが地上45mの崖から海へまっさかさまに飛び込む姿はとても美しく、芸術的でさえある。ダイバーの姿が水中に吸い込まれると、周囲からは大歓声があがった。
(近藤藤緒)

ルチャリブレ体験
メキシコ庶民最大の娯楽といえば、プロレス。「自由な闘い」という意味のルチャ・リブレの名で親しまれるプロレスの大会を、なんとピースボートがプロデュース。99年から交流を続けている、闘龍門は、「メキシコでもっともよく知られる日本人」の称号(?)を与えられている、ウルティモ・ドラゴンが校長を務める「プロレス学校」。若き、日本人プロレスラーが、異国の地で日々鍛錬にいそしんでいる。
試合会場は、リゾート地アカプルコの下町、アレナ・コロッセオ。『この観戦のためにピースボートに乗った』というツワモノもいたが、ほとんど大多数にとっては初観戦のルチャ。その生の迫力には、圧倒されっぱなし。
試合後には、ウルティモ校長をはじめ、レスラー一同がオリビア号を訪問してくれ、即席の交流会となった。まだ、20歳そこそこのレスラーが多いだけに、同世代の日本人との久しぶりの語らいに、両者が大はしゃぎ。校長も『これからも、ピースボートのために闘いの場を提供していきますよ』と、硬い約束を交わしてくれた。がんばれ、若きレスラーたち。そして、日墨の大きな掛け橋になってね。
(高橋文)

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