3月24日 ▼真実と正義のための平和行進
今日、3月24日は、アルゼンチンに暮らす人々にとって忘れられない、忘れてはならない日となっている。いまから25年前のこの日、ブエノスアイレスで軍事クーデターが勃発。以後アルゼンチンの人々は、約7年にわたって軍事政権下の人権弾圧に苦しんだ。
その「クーデターから25年目」の日の平和行進。国会から大統領官邸がある五月広場まで、約2キロの道のりを埋め尽くしたのは、左右を問わずあらゆる政党、組合、そしてNGOのメンバーたち。もちろん、ピースボートが交流を続けてきた「五月広場の母たち」のみなさんの姿も。
「軍事クーデターと、そして軍政下で起きたさまざまの悲劇を繰り返さない」――そんな訴えのもと行進を続けた、20万人の人々。ピースボートからの有志40名も、軍政下で犠牲となった日系人の家族の方たちといっしょに、この平和行進に参加した。
「LA PAZ EN TUSMANOS MISMANOS NUESTRASMANOS」というスペイン語のメッセージが描かれた横断幕を手に行進。その意味は「平和は君の手に、私の手に、私たちの手に」。ピースボートの参加者は「Peace is in our hands .I am peace maker. I can make a diffarence. Believe it, Sight it, Do it, Dance it.」というメッセージと共に、約1時間半をかけ五月広場へ向かった。
人権擁護団体や、労働組合など様々な団体が集まり、ビラや横断幕、音楽や歌でそれぞれの主張をアピールしていた。推定20万人は集まっているこれだけ大きな行進は、おそらく日本で行われることも、そして参加する機会もないだろう。パレード中は「はぐれて迷子にならないか」、そんな心配をするほどに多くの人々。そして日本で考える「デモ」とは、ひと味もふた味もちがった、陽気な熱気にも溢れていた。
白い頭巾をかぶるのが「五月広場の母たち」に参加する母親たち。クーデターをきっかけに始まった国民を抑圧する軍の統治に対し、当時の学生を含む多くの人々は、それに反対する様々な活動を行った。その結果、軍政に反旗を翻した人も、そうでなかった人も連れ去られ、未だ行方不明となっている。その数、3万人。その中に息子や娘をもつ母親たちの集まりだ。訴え続けることで、悲惨な歴史を風化させない、そして再度過ちを起こさせないようにと、今でも彼女たちは毎週木曜日になると五月広場で無言の行進を行う。
横断幕にプリントされているのは軍事政権下で犠牲になった日系の人々の顔写真。彼らは戦前、「夢」抱いてこの地に移住してきた人々と、その子供たち。当時のアルゼンチンで行方不明になった国民をもつ各国政府は、その真相追及をアルゼンチン政府に要求しているが、日本政府に限っては、日系人家族からの要請にも関わらず全く対策を講じていない。私たちは、彼らと共に約2キロの道のりを行進した。
20万人を越える大観衆を目の前に、五月広場に設置されたステージで、チーム☆ユネスコがダンスパフォーマンス。音楽と踊りにより、平和へのメッセージをアピール。会場からは大きな拍手がわき起こった。
(映像提供:竹安真紀)
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