3月19日 ▼日系移民の歴史と文化をたどる
日本から見ると地球の反対側に位置するブラジル。その大地に暮らす日系人の数は、130万人ともいわれる(人口の1%)。その歴史は1908年に「笠戸丸」が781人の移民を乗せて神戸を出航したことに始まる。もちろん私たちが寄港したリオデジャネイロにも、その後多くの方が移民としてやってきました。そんな方々の、現在に至るまでの貴重な体験を聞かせていただくことが出来たコース。日系人のみなさんがとても暖かく私たちを迎えてくれた心遣いに大感激の2日間でした。
最初に向かったのは、日系人がリオデジャネイロで最初に入植した土地「イタグアイ」。右側のカジシマさんは、1961年、8つの時に福岡からご両親とともに移住。現在17ヘクタールの土地に、2500本のゴイヤバ(グアバのこと)を栽培する農家として生計を立てている。
およそ90年前、ブラジルへと移住した日本人はコーヒー栽培で一旗揚げようとやって来たが、到着したころにコーヒー豆の値段が下落、結果として野菜などの栽培を行うようになった。現在、ゴイヤバを栽培するほとんどが日系人というのは、その作業に大変手間がかかることが理由だとか。日本人気質はこんなところでも役に立っているようです。
カジシマさんのご両親より、お手製の軽食で歓迎を受ける。なかでも絞りたてジュースの味に、一同大満足。
別れ際「ここでの生活はいかがですか?」と尋ねると、返ってきたのは「これほど住み良い場所はないですよ」の言葉と屈託のない笑顔。おそらく、こうして答えることができるのも、これまでに乗り越えた多くのご苦労があってのことなのでしょう。
戦後の入植地「フンシャル」では、ゴイヤバの収穫時期のお忙しい中お話しを聞かせていただいた。そのほとんどが一世の方、特に北海道や福岡出身の炭坑労働者だったという方が多数を占める。
じっくり話してみてビックリ、「近所の出身だった!」なんて方もいたようですよ。
奥に見える方は、小学生の頃に北海道より移住、そして現在は農業で生計を立てている。移り住んだ後、一度たりとも生まれた土地に戻ったことはないが、おぼろげながらもその様子は記憶にあるという。「自分の故郷がどうなっているのか一目見てみたい。やはり今でもそう思いますね。」
快くピースボートの一団を迎え入れてくださった日系協会のみなさんを、停泊中のルーシ号へご招待。まずはシェフご自慢、「日本食」で一緒にランチ。一番人気は、なんといっても「マグロの握り」。
船には、並々ならぬ思い入れがあるという日系のみなさん。それもそのはず、数十年前「移民船」に乗り込み故郷を後にし、約50日をかけここブラジルへとやって来たのだから。さらに驚かされたのは、彼らがたどった航路が私たちとほぼ同じだったということ。さらには、船内の様子を尋ねたところ、「赤道祭」や「語学教室」、さらには「船内新聞」までも存在したとか。「それって自分たちと同じ…」そんな驚きと、親近感を得た方は多かったのでは?
「この日のために乗船を決意した」というのは落語家・古今亭菊千代さん。 落語を楽しむ会場から聞こえてきたのは、これまでの船内講座で聞えたよりも、さらにおっきな笑い声。
「また来年も来てくださいね」菊千代さんには、そんな期待と感謝の声がたくさんかけられていました。
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