1月31日
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写真何でも相談室/板垣真理子(カメラマン)
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ジャズメンの写真を撮りだしたのがこの世界に入るきっかけだったと言う板垣真理子さん。その後、アフリカをはじめ南米やカリブ、アジアなどの各地を訪れ、最近ではキューバの「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」を取材したことでも知られる。そのプロカメラマンが、撮影技術のイロハを伝授。質議応答形式で進められた本講座には、カメラを持参した多数の参加者が集まった。
これから訪れる、アフリカや南アフリカ、南の島々など、人も自然もたくさんの魅力を持つ寄港が続くため、カメラの機能をフルに活用し、より自分のイメージに近いものを撮るという目的を持って集まった参加者達。「ケニアで上手く動物を撮るコツは?」「写真を撮ることによって現地の人とトラブルはない?」「効果的なカメラの使い方は?」など、質問は真剣で、かつ具体的。かと思えば「綺麗に写るポーズはあるの?」と、女性なら誰もが気になる質問も飛びだす、楽しく有意義な講座となった。
この講座の成果はきっと次の寄港地、セイシェルで現れるに違いない。
(石橋)
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歴史街道を行くII〜鄭和の大冒険〜/金丸知好(自由文筆家)
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前回の講座で、「大航海時代」というとコロンブスやマゼランの偉業だとばかり思っていた私たちを、別の視点からの史実をもとにロマン航海へと導いてくれた金丸さんの、2回目のお話。
「15世紀前半、明王朝(1368-1644年)の3代皇帝・永楽帝の命を受け、南シナ海、インド洋、ベンガル湾、アラビア海をまたにかけて活躍した男がいました。それが鄭和(1371-1434年?)でした。1371年、雲南省の農村で「色目人(イスラム教徒)」の子として生まれた彼は紆余曲折を経て、永楽帝の宦官となり、1405年には南海遠征の艦隊司令官に抜擢されました。
当時の明帝国は中国の伝統的な朝貢貿易体制を強化するために、日本・西域・チベット・旧満州など周辺地域に、皇帝の信任の厚い宦官を派遣して、各国に朝貢を呼びかけていました。そして東南アジア、インド洋交易に携わる諸国に派遣されたのが、イスラム教徒を父祖に持つ鄭和だったのです。1405年の第1回遠征から30年間に全7回のインド洋航海が行われました。その目的地はインド洋交易の中心地であったカリカットやホルムズで、このオリビア号がいましがた通過したモルディヴや、アフリカ東海岸のマリンディ(モンバサからバスで3時間の位置にある)にも足跡を残しています。しかしこの華々しい航海は、同時にインド洋における大航海時代の終末を飾るものでもありました。これ以後、明帝国は北方のモンゴル人との抗争に明け暮れ、インド洋まで手を伸ばす余裕がなくなったからです。そして鄭和が大航海をインド洋でおこなっているまさにその時期、欧州の西端にある小国が、インドを目指す大航海に乗り出し始めたのです…」
(志村)
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第1回着メロ曲当て髪切りマッチSHOW
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「もっと多くの人に、船内企画を創っていくディレクターズミーティングへ参加してほしい!!」という純粋な思いにかられて開かれた、ちょっぴり過激な企画。
「携帯電話着信メロディ当てクイズチャンピオン」であるピースボートスタッフ大平に対する挑戦者が会場から選ばれ「髪切りマッチSHOW」が始まった。とはいっても、正解かどうかも、また与えられる得点も、全ては司会者の独断と偏見によって決められてゆく。その結果、見事に(?)勝利をおさめたのは挑戦者。破れたチャンピオン大平は、お約束どおりバリカンでステキな坊主頭に。
明日もまた「もっと多くの人に参加してほしい!!」という純粋な思いのもと、過激な企画が待っているとか。果たして次回の「生け贄」になるのは…。
(菅井)
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