4月22日
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ガビさんのフルーツパーラー
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肌を刺すような日差しの下、輝くばかりの海と空を彩るのはプールサイドに並べられた色とりどりのトロピカルフルーツと極彩色の花々。これは、タヒチから乗船したゲストのガブリエルさんから、船上のみなさんへの「お土産」。甘い匂いは海を渡る風に乗り、あたりの人たちを魅了する。な〜んて優雅な雰囲気も食べ始めるまでのお話。
ガブリエルさんの話もそこそこに、フルーツへ向けて勢いよく飛びかかる参加者のみなさん。山のように積まれたパッションフルーツ、スターフルーツ、椰子の実などは、見る見る消えていきました。南国の新鮮なフルーツでお腹いっぱいになる…う〜ん幸せ。
(石橋)
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タヒチアンの挑戦〜核実験がもたらしたもの〜
/ガブリエル・テティアラヒ(HITI TAU代表)
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その支配国フランスによって1975年から96年までにじつに199回もの核実験が実施されたタヒチ。数年間の空白を経て、シラク現大統領によって95年に実験が再開されたニュースは記憶に新しい。核実験という1つの「犯罪」はどのようなものだったのか? タヒチ生まれの水先案内人、ガブリエルさん自身の人生において、どのような影響をもたらしたのか?彼の体験を元にお話しいただいた。
「私が子供の頃からタヒチでは核実験が行われていました。私が小学生の時、軍隊が学校に突然やってきて、私たち子供を高い塔へと連れて行ったのです。軍人はそこで防護服のようなものを着ていたのですが、私たちふだん通りの恰好をしていました。
突然、『ひざまづいて伏せろ!!』と蹴られ、海水面上にキノコ雲が立ち上がったのです。軍人たちは建物の中に入り、私たちだけがその光を浴びました。私は子供心に、そのキノコ雲がとても美しいと感じました。約10分間見つめると、それは空の中に消えていきました。軍人は、私たちに拍手をするように命じたのです。私にとって忘れられない光景です…そう、私自身も被曝者なのです!
私はフランスの大学に留学中に、初めて広島と長崎の原爆被害の写真を見ました。そして、初めて被曝による人体への影響を認識したのです。その時の私の想像を絶する衝撃は…説明できません。この時私は、タヒチで何が行われているのかを世界に知らせなければ!そして止めさせるために行動を起こさなければ!と決意したのです。そして、私がフランスの大学に留学していた期間に実施された120回もの核実験に対し、私はその度に1人で抗議デモを行ったのです。」
(真家)
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