PEACE&GREEN BOAT2007
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「忘れられた」コリアンたちのいま
これは知っとこ
 かつて日本の支配を受けていた南サハリンには、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島からも、たくさんの人たちが移り住んでいました。日本軍による強制連行で連れて来られた人たちも多かったといいます。しかし1945年、日本の敗戦と同時にソ連軍がサハリンを支配。日本人の多くが日本へ引き揚げていく中、それまで「日本人」とされていたはずの数万人のコリアンは、「日本人ではない」という理由でサハリンに取り残されました。そしてそれは人々にとって、今度は「ソ連人」として生きていかねばならない、厳しい差別に苦しむ過酷な生活の新たな始まりでもあったのです。
 ソ連の崩壊を経て、90年代からようやく韓国への一時帰国、永住帰国が開始されたものの、望郷の念を抱いたまま既になくなった人も多くいます。さらに、家族の同行も制限されているため、永住帰国する人々が子どもや孫と離れて暮らさざるを得ないという「もうひとつの離散家族」という新たな問題も生まれています。
行程
サハリン韓人文化センターを訪問
韓人協会会長より、在サハリンコリアンに関する話を聞く
在サハリンコリアンの家庭を訪問
文化交流会
在サハリン日本領事館でアピール行動
レポート

日本の人道支援で立てられた「サハリン韓人文化センター」を訪れました。色とりどりの韓国の伝統衣装・ハンボク(韓服、いわゆるチマチョゴリ)を着た女の子たちの暖かい出迎え。

祖国の文化を学ぶことも許されなかった歴史のなか、サハリンに渡ってきたコリアンの孫の世代であろう彼女たちにとって、韓国はなじみのない他郷に過ぎないかもしれません。しかし彼女たちが歌ってくれた韓国の民謡はどこか懐かしさを感じるものでした。

サハリン州韓人協会の朴海龍(パク・ヘリョン)さんから、在サハリンコリアンたちを取り巻く状況について説明を聞きました。

少人数のグループに分けて、皆さんのそれぞれの家庭に招かれていきました。テーブルいっぱいに用意された料理。ナムルやチヂミなど、最近は日本でもなじみのある韓国の家庭料理ばかりです。実の子ども・孫のように歓迎してくださったみなさん。

半世紀以上の歳月を日韓露の狭間で疎外され、最も苦労された当事者である1世の方々のなかには、近年の帰国事業によって家族と離れて韓国に永住帰国された方もいれば、高齢によって結局故郷に戻ることができなかった方もいます。その当事者の方々に会い、直接その歴史の話を聞ける時間は、もうそれほど残ってないかもしれません。

再びみんなが集まって交流会。韓人協会の女子学生たちが華やかな韓国の伝統舞踊を披露してくれました。

その他にもパンソリ(韓国の伝統音楽)や噺家・古今亭菊千代さんの日本語・韓国語二次元落語など、ロシアで日韓の文化が混ざり合う時間でした。

在サハリン日本領事館前でアピール行動。まだまだ充分とは言えない在サハリンコリアンへの支援を日韓の市民が声を揃えて訴え、日本首相宛の手紙を副領事官に渡しました。在サハリン韓人協会が結成された以来、同様の手紙を数回も提出しましたが、今回のように受け取られたのは初めてだとのこと。


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