(1)2006年版「つくる会」教科書の「あぶない」内容
今から4年前の2001年、私たちは新しい歴史教科書をつくる会(「つくる会」)が編集した中学校歴史・公民教科書(扶桑社版)を「子どもたちに渡してはならない」と、その採択に反対して活動しました。日本国内はもちろんアジアや世界中からの批判によって、この教科書は公立中学校の全採択地区で不採択になり、0.1%にも満たない結果に終わらせることができました。
ところが、「つくる会」は2005年の「リベンジ」(復讐)を公言して、教科書を改訂して検定申請し、これが文部科学大臣の検定に合格して、再び採択に供されることになりました。
今回の改訂によっても、この教科書の全体をつらぬく「あぶない」内容は本質的に変わっていません。そればかりか、部分的にはより悪質な内容に改訂されているところもあります。
第1に、日清・日露戦争以降の日本の戦争を美化・正当化し、アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」とよんで、それが侵略戦争だったことを認めず、日本の防衛戦争、アジア解放に役立った戦争として美化し肯定する立場がつらぬかれています。韓国併合・植民地支配への反省はなく、むしろ正当化する内容は現行本と変わりありません。「創氏改名」については、2000年度の検定で書き加えさせられていました。改訂版の申請図書ではそれを韓国人が望んだから認めたように記述していましたが、検定によって現行本と同じ「日本式の姓名を名乗らせる創氏改名などが行われた」に修正しています。「つくる会」は会報『史』で改訂のポイントとして、「日本を糾弾するために捏造された、『南京大虐殺』『朝鮮人強制連行』『従軍慰安婦強制連行』などの嘘も一切書かれていません。旧敵国のプロパガンダから全く自由に書かれて」いると主張しています。改訂版歴史教科書は、日本軍「慰安婦」の事実を無視し、南京大虐殺についても否定論の立場をあえて記述しています。日本が行った加害についてほとんど触れないだけでなく、日本人が受けた被害についてもほとんど記述していません。学童疎開1行、東京大空襲1行半、広島・長崎への原爆投下1行半、沖縄戦2行半などで、被害の実態はほとんど書かれていず、原爆による犠牲者数さえ書かれていません。被害を受けたアジアの人々、日本の人々の悲しみや痛みが伝わる記述は皆無です。その反面、戦争に献身した国民を大いにたたえる記述を行っています。戦争を賛美し、「日本の戦争は正しかった」と教え、ふたたび戦争に命をささげる国民を育てるために、悲惨な被害も加害も無視する教科書です。
第2に、今回の改訂で判型をA5判からB5判に変更して100ページ減らしています。それにともなって、神話を9ページから3ページに減らしています。しかし、「神武天皇東征」を大和朝廷成立のところで扱い、実在しない神武を初代天皇とするなど神話をあたかも史実であるかのように描いています。「つくる会」は、「皇室・天皇」は「我が国の歴史の始まりとともに存在した」と主張していますが、これは、神武を実在の天皇とする歴史の偽造です。さらに、「全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場だった」とまで書いています。
第3に、今回の改訂で天皇と国家を前面に出し、日本の歴史を天皇の権威が一貫して存在した「神の国」の歴史として描いています。日本の歴史は、天皇と国家、為政者の「栄光の歴史」と描き、民衆の歴史、特に女性や子どもについてはほとんど描かれていません。一方で、韓国や中国などアジア諸国の歴史を根拠なく侮蔑的に描き、その上に立って、国際的に通用しない偏狭な「日本国家への誇り」や「日本人としての自覚」、歪曲した「歴史に対する愛情」を強制的に植えつけようとしています。他方では、現行本にある反米色を一掃してアメリカへのすりよりを強めた新たな「脱亜入米」をめざす教科書といえるでしょう。
第4に、第2次世界大戦後に廃止・失効となった大日本帝国憲法や教育勅語を礼賛しています。新訂版公民教科書では、基本的人権の説明より前に「憲法改正」の項をおき、日本国憲法を「世界最古の憲法」などと誹謗し、憲法「改正」を公然と主張しています。憲法の主権在民の説明では、まず「国家には主権がある」とまったく別の問題である国家主権を持ち出しています。公民教科書は、「社会の一体感や共同防衛意識」を強調し、個人よりも国家が先にあり、その一員として「国益」を優先させ、国家に忠誠を尽くす帰属意識の育成をねらう内容です。そのために「日の丸・君が代」が随所で強調されています(写真8枚)。
第5に、今日のアジアと世界での平和への努力を取り上げて日本国憲法9条を中心とした平和主義の意義を説くのではなく、アジア近隣諸国との緊張を過大に描き、自衛隊を前面に出して(自衛隊の写真は口絵の一番はじめの3枚をはじめ全部で12枚)その役割を高く評価しています。日本国憲法にはない「国防の義務」をことさらに強調し、日米安保条約を「東アジア地域の平和と安全の維持に大きな役割を果たしている」などと無批判に肯定しています。さらに集団的自衛権の行使を容認すべきとの主張を一面的に記述しています。これらは、政府がすすめている「戦争をする国」を積極的に支え、「お国のために命を投げ出しても構わないという人間」の育成をめざすものです。基本的人権をはじめ国民の権利よりも義務を強調し、権利の制限の必要性を繰り返し書いています。
第6に、ジェンダー・フリーを敵視し、男女共同参画社会を否定的に描き、家族への帰属意識をことさらに強調しています。「つくる会」は自分たちの教科書は、「『男女共同参画』の名のもとにジェンダー・フリーという特殊な思想を盛り込んで…家族の絆を断ち切り、日本の文化や人類の文明を根底からひっくりかえす(ような)思想とは一線を画し」たと宣伝しています。公民教科書は、「行き過ぎた平等意識」を問題視し、家族の崩壊や家族の絆が断ち切られる原因を女性の社会進出や専業主婦の役割の軽視にあるかのように描き、「男らしさ・女らしさ」を強調し、性別役割分担論を前提に家族や社会のあり方を描いています。公民教科書には巻末に「学習資料」として多くの法律や条約が載っています。他社にあって「つくる会」教科書にないのは、男女共同参画社会基本法、男女雇用機会均等法、女子差別撤廃条約、子どもの権利条約、老人福祉法、介護保険法、労働組合法、フランス人権宣言、世界人権宣言、ユネスコ憲章などです。国際条約で載っているのは、日米安保条約と国連憲章だけです。男女平等や子ども・弱者の権利や人権を否定する立場でつくられた教科書だといえます。
戦後の歴史学や歴史教育は、侵略戦争遂行に歴史教育が利用されてきたことへの反省をふまえ、科学的に明らかにされた歴史事実を何よりも重んじてきました。さらに、今日ではアジアの平和な共同体をつくりあげる前提として、アジアの人々との歴史認識の共有が求められています。ところが、「つくる会」教科書は、今日の世界の動向を無視して、国際緊張を過大に描き出し、歴史事実を捻じ曲げて戦争を美化し、国家への誇り、国家への奉仕と忠誠、国防の義務を強調しています。「つくる会」は、歴史教科書で日本の過去の戦争を正しかったと賛美し、公民教科書で現在政府が行っている戦争参加を正当化し、日本が「戦争をする国」になることを推進しています。これは、子ども・国民をこれからの戦争に動員することをねらうものです。
侵略戦争への痛切な反省から生まれた日本国憲法の理念をこのように敵視する教科書が公教育の場に持ち込まれることは絶対に許されないことです。いま政府・財界は、戦争をするための有事法制を制定し、アメリカ・ブッシュ政権の不法・不当なイラク侵略戦争に参加し、憲法を「改正」して米軍との集団的自衛権の発動によって、自衛隊がいつでもどこにでも出かけて行って戦争をする国に日本を変えようとしています。そのような中で、教育基本法「改正」を先取りし、改憲を推し進めるこの教科書の再度の検定合格は、21世紀の日本を左右する重大な問題だといえます。
(2)「あぶない教科書」の検定合格は日本政府の国際公約違反
そもそも日本国憲法は、日本がふたたび侵略戦争をしないという国際的宣言であり、国際公約でもあることを思い起こす必要があります。また、1982年に教科書検定による侵略の事実の隠蔽に対しておこったアジア諸国からの抗議を契機に、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」という条項が政府によって付け加えられたことも、忘れてはなりません。さらに、1995年の村山富市首相談話で、アジア諸国に与えた「多大の損害と苦痛」にたいしてお詫びと反省を表明しました。1999年の日韓共同宣言でも、「両国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要」と表明しています。歴史への反省は2002年の日朝ピョンヤン宣言でも引き継がれています。これらの言明は日本政府の明確な国際公約であり、同時に日本国民への公約でもあります。しかもその考え方は、侵略戦争を否定し諸民族の平等と平和を重んじてきた第二次世界大戦後の世界の潮流に照らしても当然のことです。日本政府はこのような国際公約を守る当然の責任と義務を負っています。
ところが「つくる会」の教科書は、こうした日本政府がこれまで公式に表明した国際公約に明らかに違反する内容を含んでいます。特に韓国との関係では、2002年のワールドカップ共同開催以降、友好的な交流が発展し、「韓流ブーム」によって1日に1万人が行き来するほどになり、過去史の清算と平和的な和解の条件が成熟しつつある状況に逆行する教科書といえるでしょう。こうした重大な問題に関し、諸外国の政府・国民が日本政府の対応について意見を述べるのは当然であり、政府としても真摯な対応が求められるところです。これを内政干渉ということはできないことは、2001年当時の外務省自身が国会でも正式に答弁しているところです。
このような日本国憲法否定・国際公約違反の教科書を再び検定合格させたことについては、日本政府の責任は重大です。
第1に、教科書検定制度を廃止するならばともかく、文部科学大臣が検定権限をもつ検定制度を維持している以上、検定合格がその教科書を教室で使用することを公的に承認する結果となることは、なんびとも否定できないからです。そうである以上、政府の責任は否定できません。
第2に、このような教科書を検定に合格させ、採択させるために、「つくる会」などと連携して全国的な政治活動をこの間展開してきたのは、ほかならぬ政府与党の政治家です。さらに、与党である自民党は、「つくる会」教科書を採択させるために国会議員・地方議会議員一体となって活動するように指示を出し、運動方針にまで重点課題として掲げています。また、「つくる会」以外の教科書から日本軍「慰安婦」の記述や「侵略」「虐殺」などの用語を削除させるべく、さまざまな政治的圧力をかけ、「自主規制」の名の下に事実上の強制を行ってきたのは、政府・文部科学省であり、現・歴代文部科学大臣を含む政府与党の政治家です。この点でも政府の責任はなおいっそう重大です。政府がこのような責任に頬かむりをすることは断じて許されることではありません。
ところが、政府与党の政治家たちはアジア諸国からの批判を内政干渉などと騒ぎたてて、事実上、近隣諸国条項の廃止など国際公約破棄を公然と叫んでいます。その先頭に立っている文部科学大臣や大臣政務官を罷免することもなく、こうしたことを政府が明確に否定しないのであれば、日本は国際的に孤立の道を歩む過ちを繰り返すことになるでしょう。私たちはひきつづき、このような政府の責任をきびしく追及する決意です。
(3)「あぶない教科書」を教育現場に持ち込ませない運動を広げよう
私たちは、歴史を歪曲し、戦争を賛美し、憲法「改正」・「戦争をする国」をめざし、国際社会での孤立化の道に踏み込む「あぶない教科書」が、子どもたちの手に渡されることを許すことはできません。「あぶない教科書」が検定に合格したいま、各地域でこの教科書を採択させないよう声を上げ、関係機関への働きかけを強めましょう。
2004年6月、自民党の安倍普三幹事長(当時)が、「歴史教育が国家の将来の根幹に関わる重要課題である」「歴史教育の問題は憲法改正、教育基本法改正の問題と表裏一体の重要課題である」と党の都道府県連に通達を出しています。自民党をはじめ「つくる会」や日本会議などは、「つくる会」教科書の採択と教育基本法・憲法「改正」を連動させて取り組んでいます。
いま、教育基本法「改正」反対、憲法「改正」反対の運動・世論は各地に広まってきています。しかし、まだまだ地域の世論を変えるほどにはなっていません。これを大きな世論に変えていくカギは、「つくる会」教科書の採択問題です。なぜなら、教科書は地域単位で採択され、地域で「あぶない教科書NO!」の世論をつくる必要があるからです。私たちは、2001年に地域の草の根の活動によって「つくる会」教科書を公立中学校に採択地区ではゼロに終わらせました。この教訓を活かして再び地域で草の根の世論を高め、広めることができれば、「つくる会」教科書をゼロ採択に終わらせ、教育基本法・憲法「改正」反対の運動と力をつくりあげることができます。そのことを通じて、日本の国民の良識をアジア・世界に向かって示そうではありませんか。同時に「つくる会」の教科書とその運動に終止符を打たせようではありませんか。
また、「つくる会」以外の教科書の侵略・加害と植民地支配に関する記述は今回の改訂でさらに後退しています。この問題は、「つくる会」などによる誹謗・攻撃と、「つくる会」と連携する政治家の介入・圧力によって文部科学省が採択制度を改悪して、現場の教員の意見を排除して教育委員会による採択を推し進めたことに大きな原因があります。私たちは、ひきつづき検定・採択制度の改善を要求し、アジアの平和な共同体をめざしていきましょう。そして、その前提となる歴史認識の共有が可能になるよう、教科書記述の改善を求め、実現させようではありませんか。 |