CUBA

    チェ・ゲ=バラの軌跡をたどる
  キューバに上陸
キューバでお宝発見
想像と違っていたキューバ
  明るいキューバ人
   ◆まねの出来ない本場のサルサ


◆チェ・ゲバラの軌跡をたどる
今まで船旅といえば沖縄までの2泊くらいで、船酔いというものも知らなかった私にとって、はじめの3日間はとってもブルーでした。こんな状態で3ヶ月も旅を出来るのだろうか?と。ところが慣れというものは怖いもので、今は揺れも心地よいゆりかごとなりました。そして、12日後に初上陸したキューバでは元気いっぱいでした。
 キューバは今回の旅でも最も期待していた寄港地のうちの1つです。日本でも密かなブームとなっているチェ・ゲバラ。私も例にもれず彼の若い頃の本を読んだりして来ました。
 カストロに出会う前から彼は正義感溢れる人で、同じ時代に生きていたなら、ぜひ私も同志になりたいと思える人です。
 OPで訪れた革命博物館には膨大な数の資料が展示されていて、解説文が満足に読めないにもかかわらず、ゲバラたちの軌跡をたどることが出来ました。博物館を出て平和なハバナの町を眺めていると、ゲバラたちの残したものの偉大さが身にしみてわかり、旨にこみ上げてくるものがありました。(勝連 優子)


◆キューバでお宝発見
キューバに関してはラム酒、葉巻、サルサのイメージしか持っていなかった。飲む・喰う・踊るが苦手な私には縁のなさそうな国。
 でも、2日間の自由行動ではいろいろなキューバにであうことが出来た。その中でも私の興味を引いたのが葉巻のパッケージイラスト。葉巻の売店に行って一目惚れしたのが葉巻ではなく、収納してある箱のすばらしさ。凝ったデザイン。優雅なイラスト。葉巻でなく箱を売って欲しいというと訴えた私に答えは”NO!”しょーがない。くやしいけどイラスト集を探すしかないと次に移した行動は本屋さん探し。2日目の朝、公園に立ち並ぶ古本市。
”Quiero algun cigarrillo pintora”(たばこの絵を探しています)と書いた紙を持って”Hola”(こんにちは)7件目くらいのお店でおばさんが「うちにはないけどあの人に聞いてみて」というニュアンスで男性を紹介してくれた。「イラスト集はないけど・・・、ちょっとついてきて」と本棚の裏で袋からそっと出して見せてくれたのはなんと葉巻ケースのイラスト部分をコレクションしたいわゆる原本(オリジナル)10数枚。
きれいなブルーのアルバムに収められたそれらはエンボス加工された質感。シガーを手に華やかな笑顔をふりまく女性と色とりどりの花や風景。
なんてすばらしいんだろう。集めた人の思い入れが分かるような気がした。シガーをくゆらせながら、イラストの女性に恋したのかもしれない。奥様がコレクションしていて1箱ごとに銘柄を変えて楽しんでいたのかもしれない。
鳥肌が立って、どきどきした。
価格は100ドル。うーんなるほど。まさかこんな掘り出し物に出会えると思っていなかった私は手持ちの資金がない。くやしい。でもあきらめきれない。でもお金がない。男性に「いいものを見せてもらいありがとう」とお礼を言って結局本屋さんで12ドルのイラスト集を購入し、キューバと別れを告げた。
しかし、その後は後悔の嵐。一部の人々の楽しみであるシガー。スペイン統治時代の華やかな名残を経済封鎖のまっただ中に見つけることができた。その一品に出会いながら、手に入れることが出来なかった無念さが日に日に募るばかり。
もう一度キューバに戻ってと思う毎日。どなたかキューバ葉巻のイラストについてもっと詳しく教えて下さい。(黒柳 博美)


◆キューバに上陸
セント・ジョージス海峡の低気圧発生により海が荒れていた。船酔いがひどいので、キューバ島の上陸が待ちどうしかった。下船した私たちは数台の観光バスに分乗して目的地へと散った。道路網はよく整備されているが、走っている自動車は旧型のポンコツ車が多いのに驚いた。しかし交通事故車と暴走族はどこにも見かけなかった。
軒先で静かに休んでいる人、ビールを酌み交わし陽気に語り合っている若者たち、観光客相手に愛嬌良く手を振り親近感を現しているキューバの人たち、日本社会ではみられない風情であった。
町中の汚れからみて、人に近づく蚊やハエがいるのではないかと思ったが、実は観光中一匹も見なかったのは清潔感があり気持ちよかった。ただ、軒先の近くに小さな花に香りがあればもっと和らいだかもしれない。
米国の経済封鎖により、キューバ経済は強烈に手痛い打撃を受けている様が手に取るように理解できた。私的公的施設を問わず、施設の改修・改造に廻す余力が無く自力で頑張り耐えている姿には敬服した。これがキューバ人の国民性かもしれない。国の事情と文化に違いがあるから自分たちなりの理解が必要であると思った。(山田 益穂)


◆想像と違っていたキューバ
 社会主義国、カストロ独裁の恐ろしい国ー誰もがそんなイメージを持っていたはず。でも事実は全く違っていた!私が訪問した国立バレエ学校の少女たちの可憐な姿、照れ笑い、今日私たちのためにバレエ発表してくれたその技術のすばらしさ・・・、でもその美しい姿をよく見ると、トウシューズはすり切れ、タイツはほころびていた。ゲバラ高校の生徒たちのノリノリの出迎え。一緒にサルサやダンスを踊りそして歌い、言葉の必要のない交流。でも彼等は一年に数冊のノートさえもらえない、トイレに流す水も紙も不足している、そんな現実。でも人々はとびきり陽気でやさしく、そして街並みはヨーロッパの面影を残す心ときめく町。アメリカの経済封鎖に長年耐えながらも、自分たちの生き方を持っている、そんなすてきな人々がここにいました。


◆明るいキューバ人
予想以上に楽しいときがすぎた。キューバという国のことは全くといっていいほど知らなかった。でも、船内でサルサ教室に出たり、いろんな話を聞いたりしている内に、キューバという国は、米国からの経済封鎖にも負けず明るく生きようとしている国なのだということが分かった。
 現地について、そういったことはすぐ分かった。確かにこの国は貧しい、ショーケースはガラガラだし、壊れかけのビル(家)ばかりだった。けれど人々はとても明るかった。
 こっちが声をかければ明るく返してくれるのがうれしかった。民家をあるいていたら、その中に教会を見つけた。入ってこいみたいなことを言ったので中に入った。その女の人はとてもおしゃべりで私が全くスペイン語を分かっていないことなど気にもせず、中を案内してくれた。中は意外にも広くきれいだった。
 何よりも驚いたのは壁だった。普通なら大理石とか置いてあって立派なイメージがあるのだけれど、そこの教会の壁は全部手書きでさまざまな模様が書いてあることに気づいたとき、ものすごく驚いた。貧しい中でも、工夫して生きているところに感動した。
 生バンドで踊ったサルサは最高だった。バンドの人たちはキューバ1人気のある所らしく、キューバっ子も食い入るように見ていた。巨大な輪になりみんなで踊ったりしてかなり疲れた。みんな汗だくだった。
 日本人がくたばっている中、キューバ人は踊り続けていた。彼等は、明るくみんなを楽しませてくれ、本当に踊ることが好きなんだと思った。


◆まねの出来ないサルサ!
なんだか名前を聞いてもパッとイメージが浮かばなかった国。そんな国に降り立った瞬間、私は少しではありますが今まで感じたことのない空気を感じました。時代を感じさせる建物。あたたかい気候の中で陽気に生きている人々。彼らの踊るサルサはもう私たちには到底まねのできない、まさに気合の入った、というか体の中に踊りの精神が染み込んでいるんだな、と思わず関心しました。残念だったのは英語があまり通じなかったこと。スペイン語は英語と似てると思っていたのでなんとか分かるかなぁと思っていましたが、ほとんど理解できませんでした。でもヤミのタバコ売りのお兄ちゃんは英語ができた。なんて皮肉。スペイン語は話せたほうがいいのかなぁとちょっと思いました。
キューバのOPのときにたまたま後ろにいた人と話したら、その人の高校の時の友達が私の大学のゼミの友達でした。すごい!!!!!(窪田 美沙)

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