reporter's eye
バックナンバー
[バシール]

この子たちのほとんどは、キャンプ生まれの「難民2世・3世」たちだ
 ピースボート初寄港のヨルダン。ここで、ひとりのパレスチナ人の男性と出会った。

 寄港したアカバから車で5時間。ヨルダンの首都・アンマンにあるハッティン難民キャンプ。ここは、第3次中東戦争時にできたところ。現在、6万人から8万人とも言われる「パレスチナ難民」が生活している。ヨルダンは、こういったパレスチナからの「難民」たちを多く受け入れているほか、希望者にはヨルダン人としてのパスポートを発行するなど、さまざまな便宜を図っている。この結果、現在「ヨルダン人」としてヨルダンで生活する人々の実に約7割が、実はパレスチナ人なのだ。

 「ツアー・リーダー」としての、難民キャンプ訪問――とにかく「大変」だった。たくさんの参加者、そして「外国人」である彼らが珍しくて仕方がない難民キャンプの子どもたち。交流会だって、訪れる私たちも、受け入れるキャンプの人たちも不慣れなため、スムーズには進まない。本当に「何が起こるかワカラナイ」状況下で尽力してくれたのが、ツアーガイドのバシールだった。

 ヨルダンの旅行会社に勤めるバシールは、普段はペトラ遺跡や死海といった観光地専門のプロのガイドだ。英語が苦手で思うようにコミュニケーションできずにいる私に、「大丈夫だよ」と人なつこい笑顔を見せてくれ、ついでに頭をくしゃくしゃなでる。子ども扱いするなよ、と思いつつも、明らかに「ガイド」以上の頑張りを見せる彼はすごくありがたかったし、反対に「なんでこんなに頑張るの?」とも思っていた。
 そして、ツアー2日目。準備のため寄港前にヨルダンに入っていたスタッフから、彼がパレスチナ人であること、そして、彼自身がこのツアーをやりたいと名乗り出たことを告げられた――。

 「ガイドとして何度も死海に行ったけれど、やっぱりつらいよ。対岸のパレスチナを見る度に『自分はあそこには行けないんだ』と思わされるからね」――バシール自身の話をしてほしい、という私の不躾なお願いに笑顔で応じた彼が最初に口にしたのが、この言葉だった。

 彼の両親は1950年代の半ば、仕事でパレスチナからクウェートに渡ったという。家はエルサレムにあったため、取得したパスポートは「ヨルダン人」としてのものだった。バシール自身はクウェート生まれ、クウェート育ち。しかし、93年にイラクがクウェートを侵攻。その際、ヨルダンはイラクを支持したため、クウェート国内にいた「ヨルダン人」の彼は強制退去を命ぜられた。以来、彼はヨルダンに住んでいるのだ。

 「仕事でイスラエル人にも会うよ。僕は、パレスチナに住んでいる人たちに比べれば、イスラエル人に対してそこまで強い憎しみの感情はないと思う。でもやっぱり、イスラエル人に出会うと『なんでこの人たちはエルサレムに行けるのに、僕は行けないんだ?』と思う」。
 「同じように仕事で、いろんな国の人にも出会う。悪気はないんだろうけど、彼らから『昨日までエルサレムでね…』なんて聞くと、やっぱり同じことを思うよ。それに、ヨルダンの6割以上の人がパレスチナ人なのははっきりした事実なのに、僕がパレスチナ人かもしれない、なんてことを考えもせずにこんなことを言える、その無関心と無神経にはちょっと腹が立つよね」
 「エルサレムには僕の家がある。でも、僕は行けない。エルサレムにはまだ親戚がいて、彼らに会いに行くという名目でビザをもらって一度だけ行ったことがあるよ。でも、今は行くつもりもない――なぜ、自分の故郷に帰るのにビザを申請しなきゃいけないんだ?故郷なのに。おかしいじゃないか。だから僕はビザなんて取らないし、今はパレスチナには行けないんだ」

 彼の重い言葉にどう反応していいのかわからずにいる私を見て、バシールは「キミが困る必要はないよ」とでも言いたげに笑顔を向け、また、同じように静まりかえった車内を見て言った。

 「昨晩の難民キャンプでの交流会を見て、人のたくさんの笑顔を見て、僕は本当に嬉しかったし、平和を作るのは『国と国』ではなくて『人と人』なんだと確信した。残念ながら、今のイスラエル・パレスチナをめぐる情勢は平和からは遠く離れている。でも、皆さんが日本からできることはきっとある。皆さんにとって、この難民キャンプでの時間が意義のある、何よりも『楽しい』思い出となってくれたらいいな、と僕は思ってる。楽しい思い出ならば、日本に戻った後もヨルダンやパレスチナのことを思い出してくれるだろう?」

 そこまで語り終えると彼は私に「ところで、あと10分で港に着くけど?」と促し『ガイド』の顔に戻った。

 私にとっての難民キャンプでの思い出は「楽しかった」というのとはちょっと違う。でも、初めて訪れたヨルダンを思い出す時、バシールの言葉と、その笑顔とを思い出すだろう。
 「ヨルダン」という国が好きか?と問われれば、そんなのたった2日の滞在じゃ答えられない。難民キャンプの様子だって、あの短い時間ではわからないことだらけだ。でも、確信を持って言えるのは、またバシールには会いたいし、そのためにもぅ一度ヨルダンを訪れたい。平和を作るのは『人と人』なんだ――そんなバシールの言葉が思い出される。
(川上咲玲)

45回クルーズレポートトップへ