国名
シンガポール共和国 (Republic of Singapore)
ことば
英語、中国語 (公用語は北京語)
・解説
19世紀、イギリス東インド会社の中国との貿易中継地としてイギリスの植民地下に。第二次世界大戦中は日本の支配下におかれ、「昭南島」と改名された。戦後イギリスの直轄植民地となり、1963年、マラヤ、ボルネオなどとともに「マレーシア連邦」として独立。しかし、マレー人優遇政策をとる連邦政府との間に対立が深まり、1965年には連邦脱退を決定する。
独立後は、リ・クワン・ユー首相が進めた積極的な海外企業誘致、金融市場の育成などにより、「奇跡」ともいわれる経済成長をとげた。「ゴミひとつない」ほどに整備された街並みと、それを実現している「管理国家」ぶりも有名だ。
[ホーカーズ/Hawkers]
中華料理やシーフードの屋台が集まった衛生的な食堂街のこと。シンガポーリアンは朝粥を食べたり、昼を軽食で済ませるときによく利用するが、本格的なシーフードが味わえる店もある。
お腹がすいているときは、メインディッシュ、ドリンク、麺類、デザートと店をハシゴするといい。観光客にはニュートンサーカスが有名だが、市内各所にある。
[ボートキー/Boat Quay、クラークキー/Clarke Quay]
シンガポール川の河口一帯に広がるちょっとおシャレなオープンエア・レストラン街。その昔、イギリスのアジア侵略の先兵として活躍した東インド会社の社員であったラッフルズが最初に上陸したのはこの辺り。
味、雰囲気ともによく、地元の人にも人気のスポットだが、値段は少し高め。19世紀の修道院をそのまま利用したレストラン街・チャイムス (Chijmes) もおススメ。
[ハイ・ティー/High Tea]
かつてはイギリスの植民地だったシンガポール。イギリス人が持ち込んだ「お茶」の習慣がしっかりと根付いている。「ハイ・ティー」は、昼下がりにスコーンやサンドイッチなどをつまみながら楽しむ「午後のお茶」。本場イギリスでは3段くらいのお皿に乗っかって出てくるが、シンガポールでポピュラーなのは、お茶を頼み、お茶うけは自分で好きなだけ取りに行く、「ビュッフェ式」ハイ・ティー。
食べ放題の上、シンガポールの多彩な食文化を反映して、ケーキやクッキーだけではなく、中国点心、焼きそば、マレー風菓子やスナックまで、ティーフードの種類もかなり豊富。ホテルのティールームなどで楽しめる。
[スチュワーデスの制服]
本来はマレー系の女性用正装なのだが、シンガポール航空のスチュワーデス制服として有名になりすぎた。
観光客が集う場所で簡単に見つけられるだろう。3,000円程度で買えるわりには、けっこう高そうに見えるうえ、デザインのバリエーションもいろいろなので、お土産にはうってつけ。
[Tシャツ]
シンガポールはいろんな罰金があることで有名。ガムは作っても売っても買っても罰金。ゴミのポイ捨て、唾を吐く、地下鉄内での飲食、これすべて罰金。
英語では「すばらしい」と「罰金」は同じ綴りの "fine"。これをもじって "Singapore is FINE city" とプリントされたTシャツが土産として売られている。
[セントーサ島/Sentosa Island]
船が入港するハーバー・フロント・センターの対岸に見えるアミューズメントパーク。世界一高いロープウエイで本島と結ばれている。世界昆虫館、珊瑚博物館、奇岩博物館、水族館など、かなり興味をひく名前の展示館が島内にある。
カヌー、ペダルボート、ウインドサーフィンなど各種アトラクションも楽しめるが、見逃せないのがワックスミュージアム(蝋人形館)。シンガポール陥落のとき山下奉文が英軍に降伏を迫る場面や、その後の日本軍による3年6カ月の占領の歴史を生々しく伝えている。英軍の最後の砦となったシロソ岬にも登ってみたい。ここは日本軍による華僑虐殺の犠牲者が多く眠る海でもある。
[多民族ストリート]
国全体が整備された公園といった感じのシンガポールにあって、濃厚な生活の香りと猥雑さが味わえる地域。
道教や仏教寺院のまわりに、いまなお素朴な庶民生活が息づくチャイナタウン。巨大スーパーマーケットや活気あふれる屋台を見てまわるのも楽しい。
昔ながらの中華街を復興したタンジョン・パガーも見逃せない。またサルタン・モスクを囲むように、籐製品やバティックなどを扱う商店、ムスリムレストランが軒を連ねるアラブストリート。さらにスパイスやジャスミンの匂いが漂い、極彩色のヒンドゥー寺院を背景にして、優雅なサリーをまとった女性たちが街をゆくリトルインディア。それぞれの民族の食や文化、そして色彩が織りなす街並みを散策してみてはいかが。
[戦争記念公園/War Memorial Park]
超近代都市のど真ん中、エキゾチックな「白亜の館」ラッフルズホテルのちょうど向かい側にある公園。美しい緑の芝が広がる中には、ひときわ目立つ巨大なモニュメントが立つ。
高さ 68mのこの白い塔は、「日本占領時期死難人民記念碑」、別名を「血債の塔」という。1942年から始まった日本軍による占領期に犠牲となった人々の慰霊塔として、1967年、シンガポール・日本両政府の協力により建設された。
中には遺骨や遺品が埋葬されており、中央の4本の柱は、犠牲になった華人、マレー人、インド人、ヨーロッパ人を表しているという。
[寄港地担当者より]
シンガポールの街を歩き、家庭を訪問する中で感じるのは、政府や社会全体がいかに「多文化共生社会」を意識しているかということ。
中華系、マレー系、インド系住民がそれぞれ均等に暮らすようになっている、HDBと呼ばれる集合団地。企業も雇用の際には民族バランスに配慮することが定められています。というとなんだか堅苦しそうですが、テレビのコメディショーでは各民族の特徴を面白おかしく笑い飛ばす場面も。そして、それを楽しむ観客もそれこそ多文化。そんな冗談が冗談で通る、それは成熟した多文化共生のスタイルが根付いているからこそではないかと感じます。
民族は違っても、みんなシンガポールで育ったシンガポーリアン。そんな考えが日本を含む世界へ広がれば、と思います。多文化国家シンガポール、奥が深い。
(渡辺久実)
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